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第二章 無明長夜

第二章 無明長夜


【神聖紀1223年3月28日、ブルサ】
「えーい、忌々しい霧だ!」
 カール5世の率いるサリス・サイア・アーカスの連合軍は、カリハバール軍を包囲しつつあった。だが、いざ決戦となったこの日、朝から戦場は深い霧に包まれて、伸ばした手さえ見えないという状況にあった。
「ペルレス、全軍に総攻撃の合図を!」
「それはなりません。この天候では戦えません。今しばらくのご辛抱を」
「このままでは、セリムが逃げ出してしまうぞ!」
 ここまで全てが順調だっただけに、カール5世の苛立ちも際立っていた。出陣以来、連戦連勝、士気も高く、数も優勢である。今、どうしても戦いたかった。
 その時、霧が薄れ始めた。
「おお! これこそ女神エリースのご加護! この機を逃してはならんぞ!」
 カール5世は折り畳み式の玉座から、素早く腰を上げて、左右の将軍達に下知する。
 一方、カリハバール軍では、劣勢にもかかわらず、些かもセリム1世に対する信頼は揺らいでいなかった。
 セリム1世は鋭い眼光で、不退転の決意を告げた後、居並ぶ将軍達に、グラスを手渡す。
「遥々モス山脈を超えて、この地に遠征して以来、よくぞ今まで辛酸に耐えてくれた。礼を言うぞ。もはや我らの勝利は確実。前祝いをしようぞ」
 白い酒をグラスに注ぎ、セリム1世はそれを顔の前に掲げる。
「乾杯!」
「陛下に勝利を!」
 勢いよく飲み干して、諸将が床にグラスを叩きつけた。
 後に云う『ブルサの戦い』はこうして始まる。

「小細工は要らぬ。数で圧倒せよ!」
 カール5世の戦術は単純ではあったが、効果的でもあった。魔矢の応酬を終わると、白亜の鎧に身を固めたサリスの聖騎士が、光を放つ魔法の大剣を翳して突撃する。それを、銀色に輝く竜鱗の鎧を纏ったカリハバール騎馬隊が迎え撃つ。
 両軍は激しく激突した。戦いは熾烈を極める。勇者達は一歩も退くことなく、死力を尽くし合った。死傷者の数は互角であったが、総数において劣るカリハバール軍は次第に押され始める。
 戦いは、序盤、数に勝るサリス軍の優勢に進んだ。だが、ここでサリスの予想に反する事態が起きた。海岸線へ向かっていたカリハバール別働軍が常識を超える速さで戻って来たのだ。
 大軍師ルナストルの進言を受け、サリス軍は事前に一計を案じていた。バイパール半島のパルディア王国からの援軍が、ドネール湾を南下しているように、偽装工作を行っていたのだ。この策は功を奏して、セリム1世は約1万の兵を海岸線に割く。
 この時、別働軍を指揮していたのが、セリム1世の右腕トルゴウド・レイス将軍だった。レイスは、初めからこの情報に対して懸念を抱いていた。故に、進軍前に最短コースを調べ上げ、そのコース上の住民を狩り出し、松明と食料を用意させていた。そして、27日夜、偽装工作に気付くと、暗闇に松明が照らし出した真直ぐな道を進軍して、驚異的な短時間で戻って来た。
 レイスの別働軍は手薄なサリスの側面を突く。
「新手だと?……グワッ!!」
 カール5世が訝しげな視線を伝令が示す方角へ向けた瞬間、その眉間に流れ矢が突き刺さった。
「陛下ぁ!!」
 親衛隊長のペルレスが慌てて、落馬したカール5世を抱き起こす。
「うわぁああああ!!」
 だが、すでにカール5世は絶命した後だった。ペルレスは狂わんばかりに絶叫した。カール5世を失ったサリス軍は脆くも崩壊していく。
 この『ブルサの戦い』で、大勝利を収めたセリム1世は、勢いに乗って、エリーシア中原へと進撃していく。


【4月5日、シデのエリース大聖殿】
 カール5世の三人の皇女は、ガスパール・ファン・デルロース伯爵の奨めもあって、シデのエリース大聖殿に、戦勝祈願に来ていた。
 デルロース伯爵の妹ミレーユはカール5世の側室で、第3皇女メルローズの生母である。そのため、デルロース伯爵はカール5世の信任も厚く、セリアの留守を任されるほどだった。
「セ、セリアが……燃えています」
 大聖殿のテラスからサリスの3人の皇女達が呆然とそれを眺めていた。
「お父様は、御無事なのですか?」
「……」
 親衛隊長ペルレスは、言葉を呑み込んだ。その体は無数の深浅の傷で、白亜の鎧を真紅に染めていた。痛々しい姿である。だが、次に彼の口から出た言葉は、美しき皇女達の心をさらに傷つける。
「っ……、御武勇……叶わず、……蛮族どもの流れ矢が……。申し訳ございません。我々がお傍に侍りながら……」
 ローズマリーがよろける様に崩れる。それを左右の妹達が支えた。
「お姉様、気を確かに! 今度はお姉様が復讐戦の旗頭になるのですよ」
「私達はこれから、どうなるのでしょう?」
 それぞれに二人の妹達は違う反応を示した。ティルローズは唇を強く噛んで、勝ち気な態度を崩さない。一方、メルローズは大きくて丸い瞳に、涙を一杯にたたえている。この三人を人々はエリーシアの三華と称えた。それほどの美貌を持つ三姉妹だった。
「ペルレス! 直ちに父上の仇を討つのだ。わたくしにも鎧を!」
「お待ち下さい、ティルローズ様。もはやお味方はバラバラ。今は……勝ち目はありますまい……」
「臆したか、ペルレス! それでもサリスが誇る聖騎士か!」
「……セリアもすでに混乱の最中。敵も味方も判断できません。……暫しお待ち下さいませ。このペルレス、神明にかけ、必ずやサリスを復興してみせます。ですが、今は、今は何卒落ち延び下さいませ……」
「……」
 ティルローズの口から言葉が途切れた。何もペルレスの言葉に納得したわけではない。勝ち気に振る舞っていても、彼女自身今にも不安で押し潰されそうなのだ。心は麻の様に乱れ、思考も定まらない。ペルレスの言葉が頭の中で空回りし続ける。返す言葉が見つからない。その時、ローズマリーが大理石の冷たい手摺に寄り添いながら、跪いた。
「聖サリスの千年の都が……、わたくしの祈りが足りなかったのでしょうか? 御教えてくださいませ……エリース様」
 ローズマリーが両膝をついて、湖の方に手を組んだ。その目からは涙が溢れ出していた。
「お姉様……」
 メルローズがローズマリーに寄り添う。
「……落ち延びるとは?」
 勢いを失ったティルローズが弱々しく訊ねる。
「……聖サイアにか?」
「いえ、サイア城が次の標的でしょう。危険です」
「……では、何処へ?」
「エリース湖の彼方、カナン半島です」
 エリース湖の東岸は、エルフ族の住むワルスゴルム大森林があり、人は住んではいない。
「伝説の闘神神殿か? だが、あそこには何もなかった……」
「かつてカール大帝が、女神エリースからオーディンの槍を授かったと伝承される場所です。我々に最もふさわしい場所でしょう」
「……そうだな。行こうか、カナンへ」
 ティルローズの顔に希望の色が戻った。しかし、それが如何に儚いものか彼女自身気付いていた。だが、今はその希望の光にすがるしか道は残されていなかった。彼女達の苦難の旅が始まる。
 この日の夜、暗闇の中を月明かりだけを頼りに、エリース湖を進む船があった。全員が離れて行くエリース湖西岸を黙って見詰めていた。銀色の光に照らし出されたその顔は、どれも疲れ果てていた。


【神聖紀1223年4月初め、ロードレス神国“静寂の谷”】
 ドワーフ用の小さなベッドの上に、蒲団が窮屈そうに丸く盛り上がっている。
「くしゅん!」
 蒲団の中で、オーギュストがくしゃみをする。ジオ大神殿を脱出してから、2週間ほどが過ぎたが、熱は一向に下がっていなかった。
 そこに肉汁{スープ}を持って、男が部屋に入ってくる。小太りで背が低く、顔から髭が生えているのか、髭の中に顔があるのか分からないほどの髭面である。頑健な種族ドワーフで、名はレイと言った。ドワーフは大地の妖精族である。他の亜人種に比べ、人間社会との交流も盛んである。大変な酒好きで知られ、体に似合わず繊細な細工を得意としている。また、鉱石や金属加工などの知識に秀でているものが多い。このレイもその一人で、錬金術師の第一人者だった。
「どうだい? 知恵熱は下がったか」
「知恵熱は止めろ、知恵熱は。ぐちゅん!」
「元々人の体は精霊を扱うようにはできておらんからなぁ……」
「うるちゃい! ゴホゴホ……」
 咳きとくしゃみを繰り返して、眼まで真っ赤にして震えている。その姿を見て、レイはそれ以上きつい事が言えないでいる。
「あ~ぁ、やれやれ」
 レイは不完全燃焼な顔をして、小屋をまた出て行く。
 小屋の外では、マックスが薪を割っていた。
「おい、従者。その無駄にデカイ体は飾りか? 何時までかかっている」
「……ふぅ」
 マックスは大きく息を吐くと、無言で斧を台に叩きつけた。
「訊きたい事があるようだな。デカイの?」
「アイツは何者なんですか?」
「さぁね、亡霊に取り付かれた哀れな男かな。俺が生まれる前から戦っている」
「敵は一体……カリハバール軍の魔女だと言っていたが……」
「ほぉ魔女ね。今度の敵は人か。人は大変だぞ。次から次に湧いて出てくる。だが、人だけとは限らんがな」
「それって?」
「前回はダークエルフの族長ルシフォン。その前が竜皇タングラムと戦っていた」
「……そいつはぁ……」
 一つ生唾を飲み込む。レイの言う言葉に、マックスは全く現実味を感じない。
「まぁお前には関係ない事だ。脱出計画は順調だから、ウェーデリアに帰ったら、すっかり忘れてしまうことだ」
 そう言って、マックスの肩を叩くと、レイは立ち去ろうとする。その背中をマックスは、まだ訊き足りないような、だが、恐ろしいような、そんな戸惑った表情をして見送った。
 その時、澄んだ鈴の音が、谷にこだました。
「侵入者だ!」
 レイは立ち止まり、緊張感のある声を出す。そして、小屋からは、オーギュストがよろけながらも飛び出てくる。


 深い森の中、青竜偃月刀が唸った。
「ぐはぅ!」
 血飛沫が大木に飛び散り、首のない肢体が大地に伏せる。死体の武具は不揃いで、薄汚れていた。一見して、正規兵ではなく、傭兵だと分かる。
 一人が斬られる間に、三人の傭兵が廻り込む。そして、間髪入れずに、斬りかかった。
「ひぃ」
 再び、青竜偃月刀が旋回する。と、三つの首が、短い悲鳴とともに舞い上がった。
「敵は一人。怯むな~ぁ」
 傭兵のリーダ格が叫ぶ。だが、彼自身の腰はすでに引けていた。
「死にたい者はかかって来い!」
 青竜偃月刀を操る者が一喝する。その周りには、すでに10を越える死体が転がっていた。
 男の名は、リューフ・クワント。彫りの深い顔で、ブラウンの髪と瞳を持つ巨漢の豪傑である。シェルメール草原の出身であるが、その名はエリーシア中に鳴り響いていた。
「きゃあ!」
 リューフの背後で、若い女性の叫び声がした。
「カレン姫! ナルセス!」
 振り返ったリューフの視界に、傷付き膝を折る男と、口を抑えて悲鳴を上げる若い女の姿が入る。すぐに駆け寄ろうとするが、遠距離から矢を射掛けられて、近付くことができない。咄嗟にリューフは、持っていた青竜偃月刀を投げる。
 青竜偃月刀は女性と傭兵の間に正確に落ち、傭兵達の足を止めた。
「お逃げ下さい!」
 リューフの言葉に、カレンは小刻みに頷くと、独り後方へ駆け出していく。一方、リューフは足元の死体から、ロングソードを奪い取り、それを振って、カレンを追うタイミングを計っていた。
 カレンは後ろを気にしながら駆け、不意に前を向く。と、そこに若い黒髪の男が立っていた。
「どけ」
 カレンは息を飲んで立ち止まる。
 その肩を掴んで、オーギュストは乱暴に投げ倒した。そして、精神を集中させる。
 と、カレンを追っていた傭兵の足元が、急に泥沼となり、傭兵達の足がそこに沈んでいく。その泥沼はあっという間に、リューフの方にも広がり、その場の全ての傭兵を飲み込んでいった。
「わっ!」
 突然の出来事に、カレンは倒れたまま、眼を見張った。
 その時、術を完成させたオーギュストの横に、レイが進み出る。
「ここはドワーフの王国だ。人間が武装して入る事は許されない。直ちに立ち去れ!!」
 この言葉に、腰まで泥に浸かって身動きが取れない傭兵達は、仕方なく持っていた武器を捨てる。
 それを見て、オーギュストは大きく息を吐いた。そして、レイの肩に手をかけて、体重を預ける。
「すまん。立っているのも辛い……」
「構わんよ」
 ちらりとオーギュストを見上げた後、レイはさらに上を見た。
「お前達も一歩たりとも、境界線を越えるなよ!」
 崖の上には、月影神官戦士兵団が陣取っていた。


「大丈夫ですか?」
「あ……ありゅが……とう……」
 オーギュストの額にカレンが濡れたタオルを置くと、オーギュストは疲れ切った顔で礼を言う。オーギュストは元の小屋に戻り、再びあの狭苦しいベッドの上で喘いでいた。小屋の中には、オーギュストとカレンの他に、レイとマックスが、窓際に置かれた木製の小さなテーブルに座っていた。
「いえ。……あ、あの、こちらこそありがとうございました」
 カレンはぎこちなく頭を下げる。みつあみにした長い亜麻色の髪が、かわいらしく揺れていた。カレンは幼さの残る丸い顔をした、どちらかと言うと美人ではなく、可愛らしいタイプであろう。
「何日{いつ}か必ずお礼を致します」
「いいよぉ……くしゅん!」
 オーギュストはまたくしゃみをすると、震えながら、蒲団の中に頭を潜らせる。
「見ての通りだ。こいつは役には立たんぞ」
 レイはカレンに熱いお茶の入ったカップを手渡しながら言う。
「……」
 そのカップを両手で持って、カレンは無言でカップの中を覗き込んだ。
 カレンは自分をサイアの王女(カテリーナ・ティアナ・ラ・サイア)だと言った。セレーネ半島の祖父(メルキオルレ・ド・オルレラン公爵)の所へ、避難する途中だと説明した。さらに、オーギュストに警護を求めてきた。
 この時、オーギュストは、ブルサでの連合軍の大敗を知る。カール5世は戦死し、カリハバール軍は大運河を抑えて、聖都サイアを包囲にしている、と言う。
「それじゃウェーデリア公国軍は……皆は……」
 言いながら、マックスは体を震えさせて、ここまで小さくなるかと疑問に思えるぐらい、その大きな体を縮ませている。
 そんなマックスをちらりと見て、カレンは立ち上がり、桶の水を入れ替えるために、小屋を出て行く。小屋の少し離れた所に井戸があり、その傍でリューフがナルセスの傷の手当をしていた。カレンが近付くと、リューフは立ち上がって礼をする。
「本当に王女かな?」
 窓枠に隠れるようにして、外を見ているマックスが言った。
「どう思う?」
「おそらく、影武者だろうね」
 レイの問いに、蒲団の中からオーギュストが答えた。
「どうしてそう思う。蒼鷹の騎士がいないからか?」
「さぁね。それも目立つだろう。まぁ疑問を上げたら切りがない。あの二人を、オルレラン公が遣わしたという事は、本物である可能性もある訳だし。おそらく、何組も、色々なルートで、オルレランに向かっている事だろう。本人達にも暗示を与えているかもしれないから、結局、現状では、あのカレンにも真実は分からないだろうね」
「難儀な話だ。人間は訳の分からんことばかりに頭を使う」
 レイはカップを豪快に飲み干す。
「で、引き受けるのか?」
「あの護衛の二人は利用できる」
 二人とも名の通った傭兵である。ナルセス・フォン・ディアンは、中肉中背で、褐色の髪をしている。先ほどの戦闘でも分かるが、あまり運動神経がいい方ではない。しかし、知識と経験豊富なベテランである。単独行動だけでなく、作戦指揮にも定評があった。身形も振る舞いも紳士的だったので、下級騎士にならすぐに仕官できただろう。しかし、ナルセスは、旧トラブゾン公国の名門一族の末裔で、その家門の復活を夢見ていた。故に、長年の浪人生活も甘受していた。
 リューフはさらに名が通っている。シェルメール草原の出身で、12歳の時にはすでに2mを超えるほどの大男だったという。その類稀な体格を聞き付け、当時のサリス聖騎士ハント・ド・クワントはリューフを養子に迎えて剣を仕込んだ。整った環境の元、リューフの天賦の才は開花、18歳の時にはサリスでもトップの剣士と評判になる。だが、リューフの不幸は、政治センスの欠如にあった。その武勇を利用しようとする大人達の中で、力を持て余し、素行を悪くしていく。裏切られる前に裏切れ、と次々に主君を変え、不義の悪名を轟かせる事になった。悪評にさらに人間不信を募らせ、さらに仲間を裏切りつづける。サリスを追われ、北方のグラムガノムグラード連邦で傭兵になっていたらしいが、いつの間にか、エリーシア中原に舞い戻っている。そして、落魄れ、空腹の果てに、一人の司教に救われる。セレーネ半島のオルレランにある、聖パトロ大聖堂のキュリアクス・ド・ローザス司教である。彼はリューフを信じ抜く事で、誰も信じる事ができなくなっていたリューフの心を氷解させて、人の心に目覚めさせる。
「あの女の表情見ただろ?」
「月影神官戦士兵団のアフロディースの事か? 凄かったなぁ」
 レイが大きな口を開けて笑う。
「まさかドワーフの集落を襲撃する事はないだろうが、俺の狙いが、ウェーデル山脈の地下迷宮だと気付いている筈だ。待ち伏せしてくるだろうね。その時に、捨駒ぐらいには、役立つかもしれない」
「酷い話だな」
「どっちにしても、可愛い娘が、若くして不幸になるのは、もったいない話だ」
 その時、ずっと外の3人を見ていたマックスが、会話に入ってくる。
「それにしても、急に喋れるようになったよね」
 その問いに、蒲団がごそごそと動き出した。そして、髑髏が出てくる。
「多眼人のものだ。さっき泥沼を作った時に、見つけた」
「抜け目のないヤツだ」
 レイは鼻を鳴らしながら、席を立つと、カップを流しに置いた。
「こいつで魔力を補えば――」
「そんな物では、10日ともたんだろ? 元来、人間の体では無理だったのだ」
「無理も何も、俺は俺だし、人間だし、他に方法がないし」
「……もう潮時なのかもしれんぞ。良いではないか、この時代の者がそれを望むのなら、破壊神が復活しようとも――」
 オーギュストは突如跳ね起きると、ベッドの下に置かれた黒い球体を指差す。
「これが何で出来ているのか、お前に分かるのか? どうやって作るのか? どんな性能があるのか? どんな事が出来るようになるのか? それも分からずに、軽々しい事を言うな!!」
 凄い勢いでまくし立てる。
「まだ早い。まだ幼いのだ。今この時に危険過ぎる。再び破滅の惨劇を産むぞ。それは赦されない事なのだ。それはあの女{ひと}が最も恐れた事だった……」
「自分を見失うな、オーギュスト・オズ・ディーン!」
 と、突然オーギュストの動きが止まった。
「記憶が混乱しただけだ。お前が受け継いだのは、使命。それを実行する為の知識だけだ。感情に引き込まれてはいけない。無限の暗闇に流されるぞ」
「俺は……何を言っていたのだ……すまない」
 オーギュストは両手で頭を抱えると、深い息を吐いた。
「無理もない。世界を破滅へと導いた、荒ぶる神の激情は、その片鱗だけでも尋常ではない筈だ。人間の脆弱な精神では耐えられないだろう」
「それでも、俺はやるしかない……」
 そう囁くよう言って、オーギュストは、少し休ませてくれ、と小さいベッドの中で、膝を抱いて眠りにつく。
「もし、お前が、俺の知らない金属を作ったら、その時は潔く消えてやるよ」
「二言はないな」
 レイは笑って、小屋を出て行った。


 翌日、カレンを連れて、オーギュスト達は谷の奥へと向かう。そこには滝があり、その裏側から、地下迷宮に入る事が出来る。
 浅瀬を渡って、滝壷の淵が見えた時、オーギュストは先端に髑髏を付けた杖を振り上げて、全員を止めた。二つの陣営が戦っている事に気付いたからだ。
「前回の傭兵団かな?」
 ナルセスの問いに、オーギュストは首を振った。
「魔力を感じる。カリハバールの魔術師だろう」
「カリハバール!?」
 ナルセスの手に汗が滲む。
「マックスとナルセスはここで、カレン王女を。リューフは俺と」
 オーギュストは気配を消して、草むらに隠れて進む。


 滝壷の周りは、木々に囲まれて昼間でも少し暗く、舞い上がる水飛沫でひんやりと涼しい。だが、この時は、異常な血の香りがどんよりと漂って、身の毛のよだつような妖しげな雰囲気が包み込んでいた。
 黒いローブの魔術師がいた。袖の広いローブの形から、カリハバールの魔術師だと分かる。それに対峙しているのは、10人の月影神官戦士兵団だった。
「カリハバールの蛮族が、ここで何をしている?」
 アフロディースが、攻撃的に問う。
「くくくっ、邪魔は止めた方がいいぞ。俺の目的はカレン姫だけだ。命が惜しければ、立ち去れ」
 魔術師のしわがれた声がする。
「ふざけるな! この地を蹂躙する者を許す訳にはいかん」
 アフロディースが剣を抜く。それに従って、神官戦士もそれぞれの武器を構える。
「無駄な事を」
 魔術師は深いローブの奥で、薄気味悪い声で笑う。
「コルテスの名において命じる。アルケマインよ、盟約を果たせ」
 その声とともに、巨大な異形の魔物が現れた。
 アルケマインは赤道直下の熱帯“チャナカーン”に生息している。チャナカーンは、動物ではなく、植物が食物連鎖の頂点に立つ世界である。故に、多彩な植物が進化している。体長2m、体重100kと、植物系では最大の巨体であり、何よりも獰猛な事で知られている。大きな口と無数の蔦を自在に操り、大型の哺乳類すら捉えて食べる事もある。
「怯むな!」
 アフロディースが叱咤する。
「行け!」
 コルテスの口もとが歪むと、アルケマインの無数の蔦が一斉に伸びる。
 アフロディースはそれを薙ぎ払った。だが、神官戦士の中には、蔦を避けきれず、したたかに打たれる者もいた。その箇所に鋭い棘が突き刺さり、肌が浅黒く変色していく。
「毒だ! 気を付けろ」
 アフロディースが叫ぶ。だが、その神官戦士は苦しみながら倒れてしまうと、この異形な敵の妖しげな能力に、他の神官戦士たちは怖じ気付いていく。
「まだだ。恐怖は始まったばかり」
 コルテスが嘲り笑うと、倒れた神官戦士の体から、芽をふくように植物が伸び始めた。
「これは!?」
 異常な光景に、アフロディースさえも絶句する。
「食人花ファレノマールだ。お前の部下を苗床に成長する。くくくっ」
「笑うな!」
 アフロディースがコルテスに斬り込んでいく。その素早い踏み込みで、一気に間を詰めると、一閃に黒いローブを切り裂いた。
 だが、そこにコルテスはいない。宙を舞うように、ふわりと木の枝の上に飛び乗っている。
 しかし、アフロディースの眼はそれを逃がさない。胸元から、手裏剣を取り出すと、コルテスへ投げる。
「なっ!」
 捉えたと思った瞬間、手裏剣の刃が欠け、さらりと地面に落ちていく。アフロディースは再び絶句した。コルテスの肌は鋼のように黒く、瞳は獣ように狂い、口は裂け、歯は牙となって突き出ている。
「何者だ!?」
「我らは魔獣人。次代の霊長よ」
 コルテスの裂けた口が無気味に笑う。
「絶対神ジ・オの名に誓い、貴様ら不浄のものを排除する!」
 アフロディースの眼が、固い決意の元、炎のように輝く。
「くくくっ、愚か者め。そんなくだらない戯言を言っている間に、ほれ、お前の部下達は!」
「はっ」
 慌てて振り返ると、そこに、10体のファレノマールが立っていた。
「くっ、……許せ。今楽にしてやる……」
 アフロディースが走る。鞭のようにしなやかで強靭な肢体をしならせて、電光石火の一撃を振る。斬られたファレノマールからは、すぐに鮮やかな炎が燃え上がった。アフロディースの持つ剣は、刃に炎が封じ込められた、フレイムタンと呼ばれる魔剣である。
 流れるような、その体裁きで、次々にフェレノマールを斬る。十本の火柱が立った時、燃える炎に怒りの美貌が照らされて、憎しみに輝く鋭い眼光をコルテスに向け直した。
「生意気な眼だ。くくくっ、好きだぜ」
「死をもって償え!」
「知っているか? お前のような気の強い娘ほど、心の奥では嬲られたいと思うもの」
「ふん、笑止!」
 その時、新たな植物が背後の滝壷から現れる。
「ギャラントよ。お前の餌だ。好きにしろ!」
 コルテスが叫ぶ。
 植物性スライム“ギャラント”。ギャラントは胴体部分がスライム状で、そこに獲物を入れて溶かす。そのスライムから無数の触手を発生させ、それを襞のようにして歩く事もできる。目も耳も鼻もなく、感応能力で仲間と通信しているらしいが、これらの能力を利用して、獲物を獲る。獲物を見つけると感応波を放出して錯乱させ、無数の触手を一斉に伸ばして覆い尽くし、スライムの中に引きずり込む。
 ギャラントの感応波がアフロディースを襲う。
「!?」
 突然、アフロディースの頭がくらくらと振れ、思考が定まらない。
「え……なにッ!?」
 気が付いた時には、視界から色が消えていた。そして、身体中が痺れ、全く動く事ができない。
 そこに無数の触手が伸びる。ぬるぬるとした触手の先からは粘液が滴り、それらがアフロディースの身体に絡み付く。と、ゾクリとした言葉では言い尽くせない、おぞましい感触が、肌から神経に染み込み、あっという間に全身へと伝播していく。
「ひッ!!」
 思わず、女の悲鳴がもれる。女性としての本能が、これから起きるであろう危険を感知して、慄然としている。その美しい瞳は震撼し、恐怖で顔を蒼白にした。
「ひぃやぁああああ!!!」
 触手は腰に巻きつき、腕と太腿も絡め獲る。と、そのままスライムのなかに引きずり込んでいく。冷たい感触が身体を包み込む。そして、着ていた神官服があっという間に溶け、次に、持ち上げられた時には、素肌にチェーンメイルだけが残っていた。
 チェーンメイルの隙間から入り込んだ触手が、アフロディースの豊かな乳房に巻きつき、締めつける。さらに、露になった桜色の小さな乳首に別の触手が伸び、その先から吐き出した糸の様に細い線が、その可憐な乳首に絡み付く。
 また、太腿に巻きついていた触手は、左右に長い脚を広げさせ、穢れを知らない秘唇を外気に晒す。そして、そこに複数の触手が群がる。花びらのような小陰唇は左右に開かれ、まだ包皮に隠れていたクリトリスは、剥き出されてしまう。
「んっ、ふぅんっ、や…やめっ…んんっ!!」
 堪りかねて口を開いた時、首に巻きついた触手は、一周すると、その小さな口に押し入り、透明の液体を体内に流し込む。
 アフロディースは神経が敏感になっているのを感じた。そして、かつて感じた事のない、ふわぁんとした快感に包み込まれていく。身体中が火照り、痺れるような感覚が全身を走り抜けた。
「うッ!! こっ、このっ、ままっ、でっ……くぅ!」
 アフロディースの身体がビクッ!ビクッ!と震えた。もはや言葉すら出ない。恍惚とした表情で口の端からは、涎が零れ落ちた。
――このままでは……わっ…私は……
 その時、虚ろな瞳に十本の火柱が写った。
――負ける訳には……こんなところで……必ず仇を討つ!
 突然アフロディースの瞳に意志が戻った。そして、フレイムタンを強く握り締めて、チェーンメイルだけが残る半裸体を捻る。そして、その反動を利用して、身体に撒きつく触手を一気に刈り取った。さらに、落下しながら、フレイムタンをギャラントの中心へ投げつけた。
 起死回生の一撃を受けて、ギャラントは地に響く呻き声を上げて、燃え枯れていく。
「あっ……あ……」
 しかし、着地したアフロディーテを待っていたのは、絶望的な虚脱感だった。全ての力を奪われたらしく、崩れるように地に伏せる。
 そこに、コルテスも木の上から降りて来る。
「くくくっ、どうだ? 女の喜びを知った感想は?」
 コルテスがアフロディースに卑猥な笑いを向ける。
「外道が……」
 荒い息を吐きながら、アフロディースが殺気立った瞳で睨みつけた。
「すぐに、利口になる」
 コルテスが指を鳴らす。と、正面からアルケマインが、背後では、滝壷の水面が再び盛り上がり、新たなギャラントが浮き上がって来た。
 アフロディースは唇を噛み、そして、コルテスを無念そうに睨んだ。と、その視界の端に、コルテスの背後に廻り込む大男の姿が入った。
 不意にコルテスの背後から、リューフが巨大なハンマーを振り下ろす。ハンマーはコルテスの肩を叩き、さらに、強大な魔の圧力が加わると、コルテスを大地に押し潰していく。リューフの持つハンマーは、大地のハンマーと呼ばれ、ドワーフ族の使う物である。大地の精霊が宿り、打ち付けると、強力な重力で対象を押し潰す。
 だが、コルテスの足の筋肉が異常なほど盛り上がり、その衝撃に耐え切る。そして、逆にリューフを押し返した。
「邪魔者が増えたか。だが、無駄。まとめて始末してやる!」
「邪魔はお前だ」
 オーギュストの冷淡な声がした。
 コルテスが振り返ると、アフロディースの横に、オーギュストが立っている。
「小僧、死にに来たか?」
「汚い息を吐くな。下劣な雑魚よ。美を愛でる心も失ったか」
 オーギュストは腰を落として、アフロディースの肩に手を回して、抱き支える。
「大丈夫か?」
「貴様が……何故?」
「そんな瞳ができるなら、大丈夫だな」
 オーギュストは短く鼻で笑うと、その直後、詠唱に入る。
――これは!
 その口の動きに、アフロディースは眼を見張った。
「人間がァ! 雑魚は貴様らだ。死ね!!」
 コルテスの牙が飛ぶ。
「神装障壁!」
 だが、オーギュストの寸前で、牙は青白いレンズに弾かれてしまう。
――聞いてしまった……知ってしまった……
 呆然とするアフロディースの横で、オーギュストは眼帯を投げ捨てる。そして、赤い瞳を輝かせた。
「面倒だ、一気に片をつけてやる。リューフ、臥せろ!」
 オーギュストは精神を集中させる。そして、精霊魔術を発動させた。十本の火柱が、急激に燃え盛り、天高く炎を立ち上がった。それらは天空で、捻れるように渦を巻き、一つの塊となっていく。
「……フェニックス!」
 アフロディースが上空を見上げて、聖獣の名を呟く。炎の塊は大鳥へと姿を変えていった。炎の鳥は、神々しい光を放ち、一度囀ると力強くはばたく。無数の羽が降り注ぎ、その羽が全ての植物系モンスターを焼き尽くしていく。
 コルテスは逃げ惑い、恐怖に顔を強張らせた。
「逃がしはしない」
 さらに、フェニックスは一鳴きすると急降下、オーギュストの差し出した左手へと絡み付く。そして、光る炎の弓へと変化を遂げた。
 それをオーギュストが引く。
「鳳弓天破!!」
 放たれたフェニックスの矢は、コルテスの体を、灰すら残さず一瞬で消滅させた。
「……」
 アフロディースはただ無言で、その光景を見詰めた。圧倒的強さを見せていた魔獣人は、塵のように消えた、いや、消し去られてしまった。高度な絶対魔術と、聖獣を操る精霊魔術を同時に使いこなして……。
――こんな子供が……
私は一体今まで何をしてきたのだ……
私の今までの努力は、全くの無駄だったのか……
認めたくない……
認める事などできない……
できる筈がない……
私は勝つ……
勝たねばならない……
今は傷付いている、だから退くが……
必ず勝つ!
 アフロディースの心が震え、その心に暗い感情が滲むように広がる。
 一方、地に臥せていたリューフは、驚嘆の眼で、オーギュストを見詰めていた。
「す、凄い。聖獣フェニックスを召喚するだけでなく、それを弓化するとは……」
「ようはイメージ力だ。精霊魔術は、物を正確にイメージする力さえあれば、どんな事でも可能だ」
 リューフは思わず平伏していた。何処からか天の声が聞こえてきたような気がした。
――この男に生涯を奉げるべし!
 リューフの頬に涙が伝わっていた。彼はこれまで多くの権力者によって利用されてきた。その誰もが、彼の卓越した力だけを必要とし、事が済めば、その力故に疎み、排除しようとしてきた。それを繰り返すうちに、彼の心は荒み、人を信じる事さえ忘れてしまっていた。女神エリースに救いを求めたが、しかし、戦士としての心が、筋肉が、疼かなかった日はない。今、目の前にいる男は、自分を遥かに超える能力を有して、悠然と立っている。リューフの力を必要としない。利用する必要もない。絶対的強さを持った男である。彼の中で騎士としての使命感が目覚めていた。
――本物だ。ついに本物の男にめぐり合えた!!
「リューフ、ここは任せた。負傷者と火を消せ」
「はっ、命にかけて!!」
 必要以上に仰々しい返事に、言った本人が一番驚く。
 オーギュストは駆け寄ってきたマックスに、体を預けた。そして、深い疲労を吐き出すように、長く息を噴出す。


【ウェーデル山脈地下迷宮】
 地下迷宮に入って、四日が過ぎていた。オーギュスト達一行は、暗闇の中を歩き続けている。足元には底の見えない、深い裂け目があり、死の緊張が張り詰める中、時間の感覚だけが次第に鈍っていく。
 オーギュストの案内で、壁に張り付いた細い桟道を進む。途中、小さな小屋で休息を取った。そこは、迷宮の常に気温湿度が一定という特性を利用して、ドワーフが酒樽を保存するために造ったものである。
 酒の香りが漂う中で、一行は歩き疲れた体を休める。
 この日、カレンは足の肉刺{まめ}が潰れて、痛くて眠れずにいた。カレンは独り小屋を出ると、少し離れた場所へ、足を引き摺って歩く。そこは岩の割れ目から、月の光が差し込み、周辺の岩が銀色に輝いていた。神秘的で美しいと思えるのは、外界の光への憧憬だったのかもしれない。
 カレンは小さな岩の出っ張りに腰を下ろすと、使い古した笛を取り出す。そして、薄い唇へ運ぶと、優しい曲を吹き始めた。
 一曲を終えた時、弦楽器が同じ曲を奏で始めた。月の光から少し離れた岩の柱に寄り添って、オーギュストが立っている。ドワーフが小屋に残していったものなのだろう、古ぼけた弦楽器を演奏している。
 カレンはオーギュストに合わせて、もう一度笛を吹く。
「いい曲だ」
「オルレランの歌だそうです」
「そう」
 オーギュストは弦楽器を置いて、カレンの方に歩み寄る。
「足、痛いか?」
 と、カレンの足元に膝を付いて、その足先を持ち、勝手に靴を脱がし始める。
 不意打ちを受けたカレンは、どきりとして思わず足を引く。それでもオーギュストは、少し強引に足を掴んで引き戻す。それから、持って来た水差しから蜜を素足に落とした。
「ウェーデル山脈でだけ咲く花の蜜。傷によく効く。さっきそこで見つけた」
 ぼそぼそと言いながら、カレンの足を丁寧に撫でていく。
 カレンも、オーギュストに悪気はないようなので、取り敢えず、少し身体を固くしたまま、その行為を受け入れていた。
「お強いのですね」
 一度境界線を踏み越えてしまうと、人は大胆になるものである。カレンは親しそうに話し掛けていた。
「相手が弱かっただけ。ほら、終わった」
 オーギュストの指が、カレンの足先から離れると、そこにあった肉刺{まめ}が消えている。
「すごい」
「ほら、そっちも」
「はい」
 今度は抵抗なく足を出せた。そして、あっと気が付いて、自分で靴を脱ぐ。
「ドワーフって偉大ですね」
「長く生き過ぎて、頭がボケてる奴ばかりさ。エルフなんてもっと酷い」
 カレンがくすりと笑う。
「でも、長い人生があれば、積み重ねた経験を活かす事も、過ちを改める事も、やり直す事も、きっと……できるのでしょうね」
 オーギュストは顔を上げてカレンを見上げる。と、穏やかさの奥に厳しさを秘めた瞳、気品のある鼻筋、そして、やや下唇が厚い口が、思い詰めた貌を描いている。それにオーギュストは軽く笑った。
「人間の人生は短いからこそ良い。反省やら後悔なんて、くだらない事をしている暇などなく、一気に駆け抜けてしまえる。何も考えずにね。それが、今、俺が俺である為に、必要な事なんだと思っている」
「……駆け抜ける、ですか。それでもやはり私は力が欲しい」
「竜のように強くもなく、エルフのように賢くもない、だが、人間には独特の直感がある。積み重ねられた想いもある。受け継がれた使命もある。それだけで十分だと思う」
 オーギュストはまるで自分に言い聞かせるように言っている。
「……では、貴方は直感だけで勝ったのですか?」
「戦いにおいて重要な事は、選択肢を捨て去る勇気。エルフや竜の方が攻撃の可能性は遥かに多いし、状況判断能力も優れているのだろう。しかし、結局選べるのは一つだけ。ならば、自分の直感を信じ、それ以外の道を積極的に捨てさる事で、勝機を掴む」
 オーギュストはちらりと、岩陰を見る。そこにはリューフの姿があった。
「では、その直感で答えて下さい。私は本物だと思いますか?」
 カレンは悪戯っぽくも、真剣であるようにも見える、不思議な表情をしている。
「君は可愛いよ。それだけで十分だろ」
 オーギュストは素っ気無く答えた。そして、終わった、と告げて立ち上がる。
「あっ、もし君が世界の王になりたいというのなら、俺が王にしてやってもいい。俺にはそれができる」
 不敵な言葉をいきなり投げつけられて、カレンは驚き喉が塞がって声が出ない。
 そう言い残して、カレンに背を向けると、オーギュストは小屋へと戻っていく。途中、じっとリューフと目が合った。
 小屋の前では、ナルセスが待っていた。
「随分優しいんだな?」
「足手まといは困る。それだけだ」
 冷淡に言い放つ。


【ウェーデリア公国、サイト】
 オーギュスト達は地下迷宮を抜けると、ウェーデリア公国内に出た。それから、エリース湖沿岸に南下して、グリーンランドと呼ばれる、小さな港町へ向かう。
 マックスとはここで別れた。彼は一人故郷への道を歩いて行く。
 港には、以前オーギュストを助けたシーズの船が停泊していた。それに乗り込むと、オーギュストは船長室へ向かう。
 そこは赤い壁紙の上を、無数の時計が埋め尽くしていた。その部屋の中央に置かれた椅子には、ボロボロの藍色のマントに、つばの広い帽子を被った人がいる。
「死後、数年は経っているな」
 オーギュストの後に続いていた、ナルセスが言う。帽子とマントの間からは、白骨が見えていた。
 オーギュストが時計を見渡すと、全部10時ぐらいで止まっている。
「埋葬してやらなくちゃな……」
 そう呟いて、船長室を出る。
「何処に?」
「カナン半島の沖に、神殿のある無人島がある。そこが良いだろう」
 この男の不思議さに興味はあったが、ナルセスはそれ以上敢えて訊かなかった。
 船は出港したが、アルティガルド王国の水軍の動きが活発で、直接オルレランへは向かう事ができない。そこで、エリース湖東岸のサイト(西都)へ一旦向かった。サイトは、エリース湖の東に広がるワルスゴルム大森林の中にポツンと存在する、ワ国人の街である。ここを拠点に、ワ国人は貿易を行っている。周囲を大森林に囲まれているために、陸路での侵入は難しく、前面の湖からしか人は入れない。為に、カレンを追う者も、ここまでは手が伸びない筈である。
 サイトでは、オルレラン公爵家に出入りしている商人、白石屋を訪ねた。カレンを通商船で送れば、アルティガルドの干渉も受けずに安全であろう、とナルセスが考えたからだ。
 事実上、ここでオーギュストの護衛の仕事は終わった。

 この夜は、サイトの祭りの日だった。
 街中の人々が市場の大通りに集まって、神輿を中心に踊りまわっている。その人込みの中を、カレンが歩いていた。
 護衛はナルセス独りが務めていたが、その表情からは、緊張感が消えている。
 横を小さな子供の兄弟が走っていく。祭りの喧噪の中で、カレンは無邪気な笑顔を見せていた。華やかな衣装と情熱的な音楽が、感じた事のない、心の昂揚をもたらしている。切迫した死の影からの開放が、逆に命の炎を燃え上がらせているのだろう。黒い髪に、黒い瞳、聞き慣れぬ言葉、それら異国の風が呪文のように囁き、魔法をかけていく。ふわりとした心境の中、自分の身体がまるで他人の物になってしまったような錯覚を覚える。いや、別人になったのかもしれない。
 と、大きな酒樽の上で、リンゴを頬張るオーギュストがいた。まるで、人々の喜びを高みから見下ろしているようで、不遜だった。
――ああ……この男とも二度と会う事はないのだろう……
 その時、不思議な感覚に陥った。何か得体の知れない感情が沸き起こり、胸一杯に溢れていく。ぼんやりする頭の中で、一度ナルセスを見た。彼も祭りに浮かれているようで、露店に目が向いている。
――この人と逸れたなら……
 不意にそんな不埒な考えが浮かんだ。
 と、カレンの傍を子供集団が走り抜けていく。それに押されて、いつの間にか、道の反対側に流されてしまった。慌てて視線を振って、知った顔を探すが見つからない。
 カレンは戦慄と恍惚の渦に呑み込まれて、激しい動悸を感じていた。そして、ふわふわと空の上を歩いているような、そんな足取りで酒樽の方へ向かって歩いて行く。
「うん?」
 オーギュストは樽の下に、人の気配を感じた。
「よ、食べるかい?」
 そう言って、オーギュストはカレンを見ずに、リンゴを一つ落とす。しかし、リンゴが地面に落ちた音が聞こえて来ると、リンゴをかじるのを止めて、カレンを見た。
 眼と眼が合った。カレンは自分の顔が赤くなったのが分かる。恥ずかしさが込み上げてくる。しかし、もう眼を逸らす事ができない。
 カレンの見詰める瞳が、熱していくのを感じて、オーギュストは酒樽から飛び降りると、カレンの前に立つ。
 矢のような視線がカレンの瞳を射抜く。
 風が吹き抜けた。オーギュストの鋼のような黒髪が風に靡く。カレンは髪飾りを取ると、結い上げていた亜麻色の髪が、風に舞って白い頬にサラサラと流れる。
 唐突に、オーギュストが手首をぎゅっと掴む。
 乱暴に扱われた瞬間、甘い痺れが脳を駆け巡る。ぼんやりとしている間と、オーギュストが腕を引っ張って、カレンを酒樽の裏に引き込む。建物の壁と酒樽に挟まれた窮屈な空間で、二人は身体を密着させた。二人の顔が近付く。カレンの睫毛が震えている。互いの心臓の音が聞こえている。
 カレンが両腕を伸ばして、オーギュストの首に手を回した。そして、踵を上げ爪先立ちすると、背筋を伸ばして唇を近づける。
 ごくごく薄く触れ合う唇と唇。先に割れたのはオーギュストの唇だった。舌先がカレンの唇をなぞる。と、カレンの唇が弛み出し、甘い吐息がもれる。
「あ……ン……」
 その僅かな隙間を、オーギュストの舌がそっと押し開いていく。
 カァッと頭に血が昇り、脳が痺れて、カレンはもう何も考えらず、オーギュストの舌を抵抗なく、受け入れる。
「ん……んん……」
 オーギュストの舌がカレンの舌に絡み付く。濡れた二枚の舌が、縺れ合って一体化すると、オーギュストは舌をしゃぶり付きだす。甘美な唾液を吸い上げ、次には自分の唾液を流し込む。二人はピチュ、チュっ、チュパっ、と卑猥な音を立てながら、ディープキスに没頭し続ける。
「んぁ…ん、むぅ……はぁ……」
 溶け出したように、カレンの身体から力が抜けていく。もはや立っていることすらできない。
 オーギュストはカレンの以外と大きい尻を、下から持ち上げるように鷲掴みする。程好く付いた肉に、オーギュストの指が食い込む。そのむっちりとした心地好い弾力に、オーギュストも酔う。
「あっ……あ、あぁ……」
 オーギュストは力任せに、カレンを持ち上げて、顔の高さを同じにする。と、さらに強く壁に押し付けて、貪るように口腔を犯し、歯の裏側を愛撫するようになぞる。
 唇が離れたとき、一本の糸がすぅーと伸びていた。
「笑っていた方が、可愛いよ」
 オーギュストが笑う。
 カレンは薄く目を開けた。酒樽と酒樽間から、祭りに浮かれる人の波が見える。現実と虚構、光と影、陽と陰、聖と淫、それらの境目が見えたような気がした。幻想的な気分のまま、再びねっとりとした濃厚な口付けに耽っていく。


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Date:2011/01/09
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