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第二十七章 多岐亡羊

第27章 多岐亡羊


【神聖紀1225年1月、ランス城】
 スレード卿(枢密院議員)のランス城襲来は、先月初め頃だった。即、全官吏の面接を行い、人材配置を刷新していく。
 まず、土木技師であり、カリハバール協力者として官職を追放されていた、『レセップス』を大運河局長として取り立てた。彼はカリハバールが得意とする石 化魔術技法を習得して、水門や水路の改修に力を発揮した。特に、水を攪拌させて流す方法で、水路に堆積する砂を減少させた実績は、賞賛に値するだろう。
 また、サイトの白石商会で、連弩の製作主任だった『皆藤』を引き抜き、武器武具の開発を行う兵器廠の長官とした。
 さらに、ランス出身で、旧サリス帝国の財務官だった『コルベール』を、通商局長に抜擢する。彼はサリス経済圏の金貨(セルツ)、アルティガルド経済圏の 銀貨(トリム)、そして、カリハバールの白銅貨(エリスタ)の両替を行い、莫大な利益を生む。後に発展して、預金や貸し付け、さらに手形発行なども行うよ うになり、世界の金庫と呼ばれるようになるが、それはまだまだ先の話である。さらに余談だが、セルツは4進法と20進法の組み合わせで、トリムは10進 法、エリスタは12進法と60進法の組み合わせであったために、両替作業は非常に複雑であった。
 最後に、セリアから聖森七賢者の一人、『ポンピドゥー』老師を招聘して、新設された緒学校(幼年学校、士官学校、ワルキューレ女子士官学校、工科学校、医科学校、法科学校、陸軍大学)の総校長とした。
 この新規組は中丞(佐官に相当)に任じられて、右記の4人は、『四長』と呼ばれるようになる。
 重臣の三羽鴉ラマディエ、マザラン、ファンダイクは、大丞(雑号将軍に相当)に任じられて、それぞれ行政、法政、軍政を担当する。
 実働部隊は、高級副将ペルレス白威将軍(羽林より変更)が預かり、この時期は、聖騎士風の厳しい訓練で、将兵のレベル向上に専念していた。
 こうして、神威将軍府(神威府)に一本軸が通った。


 枢密院議員、アーリス州牧、総参謀長、神威将軍を兼任するオーギュストの一日は、朝5時に始まる。
 軽く一時間ほど汗を流して、朝食を取り、午前8時になると執務室に入り、重臣から案件についての報告を受ける。この時オーギュストは報告書を手に取ら ず、ラマディエ等が読み上げるのをただ聞いていた。異論がある場合だけ声をかける事になっていたが、一度も声を発した事はない。
 午後からは、城下を巡廻する。
 オーギュストが現れると、建設現場に言語に絶する緊張感が漂った。釘一本の打ち忘れも見逃さず、ゴミが落ちていようものなら、現場監督に地面を舐めさせ た。また、座って雑談する者があれば、その背後に鬼の形相で立ち、失禁するまで圧倒的な殺気を注ぎ込む。また、木材の側で煙草を吸う者があれば、その口に 咥えた煙草を矢で射抜いた。現場の全員が、息の吸い方も忘れる程に縮み上がり、『投げたレンガが宙で留まった』という伝説が生まれたのもこの頃である。
 しかし、このように人を寄せ付けぬ厳しさを表していても、野心的な若者というのは、何処にでもいるもので、街道を進めば試合を挑む者、現場に立てば図面やらスケッチやらを持って来る者が、後を断たなかった。
 芸術家や技師などは、ファルコナーが、手際良く西の丸の学校へ斡旋して、オーギュスト煩わす事はなかった。また、武芸者などは、刀根小次郎が要領よく相手した。刀根家は山風忍法を受け継ぐ家系である。並の腕では全く歯が立たず、この尋常ならざる壁を突破できる者は、まだ現れない。こんな連中が、ランスの 街にはうようよしていた。
 夕刻帰城すると、夕食後、城内の作業場に篭る。そして、綺麗なガラスの花を作ると、『奥』の北西隅塔へと向かう。塔は小さな教会になっている。
「眠れないのか?」
 オーギュストはガラスの花を一輪、女神像に供えると、ぼんやりと祈りの言葉を囀り続けるローズマリーに声をかけた。
「……」
 ローズマリーは声なく頷く。
「そうか……」
 オーギュストは、肩に触れそうな手を宙で躊躇させると、太腿の横で拳を握った。そして、無力感に項垂れて教会を出て行く。
 そんな生活が一ヶ月以上も続いていた。

 アフロディースは藤棚の下で、膨らんだお腹を大事そうに抱えて座っている。
「もっと踏み込みなさい」
 その視線の先では、ランが剣の稽古を行っている。
 互いに激しい打ち込みの連続後、不用意に剣を上げたところを、篭手を取られた。
「それまで」
 アフロディースが凛とした声で言うと、ランが呼吸を整えながら藤棚の下へ駆け込んで来る。
「左手の使い方は、良くなってきた」
「はい、ありがとうございます」
 爽やかな汗を振り落として、ランは頭を下げた。記憶を振り返れば、オーギュストに弟子入りして、正式な稽古を受けたのは初めての事であろう。
――あのあんぽんたん剣豪め!
 ふつふつと怒りが込み上げる。
「貴方の足裁きは、直線的な方が向いているわね。私の南陵氷狼流より、いっそ、北陵流を学んでみたら」
 アフロディースは、涼しげに語る。
「北陵流っ?」
 咄嗟にマキシマムの勇姿が、脳裏のスクリーンに映し出される。
「ラン、涎が零れているわよ。拭きなさい」
 アフロディースはレモンティーを口に運ぶと、静かにそっと告げた。
「す、すいません……」
 ランは慌てて袖で口元拭う。そして、耳まで真赤にして、俯く。見詰めた床タイルの上では、一匹の蟻が道に迷って右往左往していた。
「もう一度、あなたの師匠に、相談してみたら」
 ランの反省態度に、アフロディースは爽やかに微笑んで、また優しく語りかける。
「でも、教えてくれるのは、ロープの結び方ばかりですよ。……すべての原点はロープ結びにある、とか言って、もう何十種覚えたか分かりませんよ」
 ランは口を尖らせて、たまった不満をぶちまける。それにアフロディースは声を上げて笑った。
 ふいに、その瞳が冷める。
 中庭の奥の窓に、オーギュストが立っていた。アフロディースの視線を感じて、すうと暗闇に消えていく。
「今日も入って来ませんでしたね……」
 ランが呟く。
「そうね」
「ローズマリー様はまるで教会に住んでいらっしゃるようで、それから、持っていた宝石を全部手放して、橋とか天使像を街中に建設されていらっしゃるとか……」
「そうね……」
 アフロディースはそっと手を腹に当てた。

 ランス城の南に、ルノワール人工湖がある。楕円形を描く湖岸は、すべて高い石垣の堤が築かれている。商船の不正な上陸を防ぎ、密輸を厳しく取り締まるためである。
 人工湖の東西に巨大な水門があり、東西の高低差を調整している。
 南岸には、兵器廠、製鉄所、造船所などが建設されて、隣接して、労働者が住む長屋も整備されている。人々の生活の賑わいで、活気に溢れていた。
 しかし、僅かに外れると、辺り一面葦の草原である。いつの頃からか、その一部の葦が雑に刈られて、廃材で安普請の小屋を立ち始めた。人が集まれば、泥濘 は踏み固められて一本の道となる。その道に芝居小屋、遊女小屋、そして、酒場など娯楽の一切が集まり、下手な歌に、安っぽい楽器演奏などが一晩中流れ、下 品な笑い声、喧嘩の罵声、泣き声、喚き声、あらゆる喧騒が、そこら彼処に飛び交うようになった。後に発展してシャングリラ新地と呼ばれる、自然発生的にで きた享楽街の胎生期である。
 白石新地と名付けられた埠頭と灯台のある地区には、船員の社交場『白石倶楽部』がある。名のとおり、白石商会が全額出資したもので、広い芝生の庭に、木造三階の館が建つ。黒い瓦を載せた切妻の屋根が特徴的で、エリーシアとワ国の意匠を合わせた、美しい建築様式である。
 ここで、神威府の新年祝賀会が行われている。
「正月の何がめでたい。本当にめでたいのなら、猫や犬でも祝っている筈だ。猫が背筋を正して、お辞儀し合っている姿を見た事があるか? あるなら俺も、潔く頭を下げてやるよ」
 と、オーギュストはいつまでも、ぐずぐず言っていたが、「神威府の最初の行事だから、中止する訳にはいかない」と説得されて、しぶしぶ出席を承諾する。
 正月早々仏頂面を式場の奥に据えて、陰湿な雰囲気を一人で作り上げている。しかし、その陰影のある威風は、置物としては最適であったらしく、
「さすがは常勝不敗の名将だ。威厳がある」
 と、参加者たちの評判は上々だった。
 この祝賀会の一切は、白石島二朗が仕切っている。彼は大運河の可能性に逸早く着目した一人で、白石商会グランカナル支社長を買って出た。そして、製鉄所や造船所など、巨額の投資を行い、神威府に大きく関わっている。
 一方、本来家中をまとめるべき重臣筆頭のラマディエは、この頃祝賀会どころではなかった。領内の豪族衆は、反抗心が強く、治めにくい。それらを臣従させようと日々苦心していた。
 この際、エマの存在とオーギュストから『ディーン』姓の使用許可を得ていた事が役に立った。
「あのカリハバールを一人で撃破した、ディーン神威将軍が攻めて来ますぞ」
 オーギュストの武勇で脅した後、
「全所領の安堵、三年間の検地延期。三年間の賦役免除」
 などと約束して、一人ずつ粘り強く懐柔していった。
 しかし、財政基盤を早期に固めたい神威府にすれば、こんな約束が守れる筈がない。それは、言ったラマディエも分かっていたし、聞いた豪族の長達も理解していた。だったら、ラマディエは騙し、長達は騙されたのだろうか。
 時に、『誠心誠意嘘をつけば、その想いが伝わる』と云う。
 まさにこの時がそうだったのだろう。嘘と知りつつも、ラマディエの必死の迫力に共感して、新年祝賀会への出席を全豪族の長達は納得した。
 因みに、マザランはアルテブルクに、ファンダイクはサイアに、新年の挨拶のために出張している。
 
 夜になると、庭にかがり火が出された。仮設舞台の上では、ワ国から招待された一座が演舞を始めている。
 本館の一室。畳みの上に、漆の丸卓子と椅子が四つ置かれて、横に屏風も飾られている。
「これはこれは」
 マックスが鼻を膨らませて、ガラスの窓に張り付いている。勇壮な剣舞を、8人の美少女が男装して踊る。華やかな扮装で、派手に動き回ると、無造作に肌が露出する。それが言い様もないほど、艶やかであった。
「おい、座れ」
 オーギュストは丸卓子の席から、叱るように浴びせる。
「お気に召しませぬか?」
 その向かいから、島二郎が米の酒を注ぎ、心配そうに訊く。
「いや、斬新で良いのではないか。しかし、女がへそを出して、激しく踊り狂うなんて……身体に悪そうだな、と思って」
「……」
 思わず言葉に詰って、島二郎は、酒を持って来るように、屏風裏の侍女に命じた。
「ディーン君!」
 オーギュストと島二郎の会話が途切れると、オーギュストの隣に座っていた、マックスの秘書が口を開く。
「何?」
 オーギュストは親しげに酔った赤い顔を、グレースーツの方へ向ける。
「稲作の可能性よ」
 女性秘書は、オーギュストの幼馴染ルーシー・カオル・ナイトである。彼女は苛々したように眉を顰めて、黒い艶のある髪を肩の後ろに払った。
「ああ、そうだった」
 オーギュストと島二郎は笑い合った。4人で、政治経済について議論していたが、まずマックスが完全離脱した。残ったオーギュストと島二郎も、度々脱線してしまう。
 島二郎はおさまりの悪い長めの黒髪で、見様によっては美男子であるが、一見して、芽の出ない貧乏青年画家と言う、素朴な風貌である。そして、酔うと、シモネタを連発する。とても世界の富の数パーセントを所有している男には見えない。
「ランスでは二毛作ができています。ペラギアでも可能な筈」
 話題の軌道を戻そうと、ルーシーはむきになっている。もう何度同じ発言を繰り返したか思い出せない。
「問題は塩害でしょうな。海から潮が流れ込んでいては、作物は何も育たない」
 島二郎が即答して、またオーギュストの盃に酒を注いだ。
「ですから堰を作りましょう」
 咄嗟にルーシーが返す。それに二人の男が笑い出した。
「ペラギアに農地を作れるほどの堰を作るとなると、天文学的な予算が必要となりましょうな」
 島二郎が言う。
「それに、船の運航にも差し障る。それこそ死活問題だ」
 オーギュストも半笑いで言う。
 ルーシーは微笑を浮かべて冷静さを装うとするが、頬の筋肉が引き攣ってしまう。内心悔しさに漲っているのが、手に取るように分かった。
 彼女はサン・ミッチェル記念大学に推薦で合格した才媛で、地元有力者の息子カーターとも交際して、約束された未来を歩む筈であった。しかし、カリハバール戦役が始まり、全てが狂ってしまう。大学は休校となり、カーター家は没落した。(第14章参照)
 そして、オーギュストとマックスは、軍功を挙げて、世界に名を馳せた。ついには州牧にまで出世している。
 正直妬ましかった。実力では優っていても、今の自分には何もない。さらに、同級生として助力してやろうと訪ねた時に、冷淡にあしらわれた。その後、マッ クスの姉に掛け合って、秘書の席を手に入れたが、今でもあの時の屈辱を忘れる事が出来ない。自分の実力を無骨なだけの男達に示してやりたかった。
 しかし、オーギュストと島二郎の会話について行く事が出来ない。客観的には当然なのだが、当人には認められない事であった。
 しばらく、島二郎の卑猥な冗談が続いたが、演舞が終わると席を離れて、舞台へと向かった。
「あの大きな瞳で見詰められて、赤く濡れた唇で『好きよ』なんて囁かれちゃったら、俺、即死かも」
 マックスは涎を啜りながら、未だ夢心地という雰囲気で席に戻ってくる。
「ボーイッシュとは、あの者達のことを言うんだろうな」
 オーギュストは溜め息を落として、小鉢の香草を投げつけた。
 無邪気に戯れ合う二人を睨みながら、ルーシーは固い意思を込めて、ぐっと歯を噛み締める。
「ねえ」
 真剣な瞳で、二人の幼馴染に迫る。
「ナルセス様がこのまま日和見するのならば、いっそ私達でセリアに乗り込むって、どう?」
「そんな事をしてどうなる?」
 答えたのは、真顔のマックスである。
「どおって、天下取り…よ……」
 言いながら、ルーシーの声は小さくなり、取って代わって、マックスの笑い声が大きくなった。
「ペラギアとランスの戦力を合わせても、5千強だぜ。そんなんで何ができる?」
「でも、このままでは、アベール公が力を増すばかりで、そのうち攻めて来るわよ」
 これはルーシーの意見と言うより、有識者の間で定説だった。次の戦いは、サイアを巡ってアベールとオーギュストの間で起こる、と実しやかに囁かれている。
「だったら、それで良いじゃないか!」
 突然、オーギュストが声を荒げた。
「大前提として、民は戦争に厭きている。今戦いを起こす者は、理由を問わず極悪人だ」
 椅子が倒れんばかりに、オーギュストは立ち上がる。
「大学は再開されたのだろ? だったら、帰国しろ」
「学費が払えないそうだ。だから置いてやってくれよ。カーターの事は俺達にも責任あるし……」
 マックスが仲裁に乗り出した。それがルーシーの心を深く傷付けているのだが、それには気付かない。
「だったら、府立校に入れてやる。そこで学んで来い」
「ディーン君」
 取り付く島もなく、オーギュストは部屋を出て行く。ルーシーも慌てて後を追って廊下に出た。と、そこで、聡明な光を放つ女性が、オーギュストと親しげに立ち話をしていた。その光景に、思わず息が詰まる。
 くすんだ色調の金髪を短く切り揃えて、落ち着き払ったブルーグリーンの瞳が知的な光を放っている。宝石などを着けておらず、ドレスも黒の質素なものである。それが本物の清麗美を醸し出しているようだった。
 オーギュストが「ミカエラ」と呼んだ。
 その名に身体中の血が凍り付いた。ダイヤモンドの横に置かれたガラス玉、そんな心境だろうか。今に直ぐにでも、この場から消えてしまいたかった。
 腕を絡ませて、二人は階段を登って行く。ルーシーにもう後を追う気力は残っていなかった。

「来ないんじゃなかったのか?」
 オーギュストは自分で紅茶を煎れて、ミカエラに差し出す。
「そのつもりだったけど、まぁ色々とね、耳に入ってくるのよ」
「何だろう」
 苦笑しながらオーギュストは足を組むと、紅茶の香りを吸った。
「女かぶきは、観たのか?」
「あんなもの」
「相変わらず、保守的だね」
「私は保守じゃないわ。本物を知っているだけよ。瞬間輝く物は多いけれど、永遠に輝き続ける物は少ないわ」
「含蓄のある言葉だね」
 オーギュストは笑う。
「俺もミカに捨てられないように、頑張らなくちゃ」
「そうだと思って、おもしろい情報を持ってきたわ」
 そう言うと、ファイルを投げ渡す。表紙に『サルトール枢機卿』とあった。サルトールはその過激な思想から、エリース聖教会を破門された危険人物である。
「俺とどういう関係がある」
「読みなさい」
 オーギュストがページを捲ると、心地好い酔いが消えてしていく。
 サルトールは、『リンガ』を手に入れたとして、信者と共にヴェガ山脈に向かい、消息を断った。
「リンガ……(反陽子弾か……)」
 足の組みを解き、身を前屈みにして、ファイルに読み耽る。
「あなたが悪いのよ」
 ミカエラの言葉に、オーギュストは不機嫌な視線を上げる。
「どうして?」
「あなたが人間の多様性を説いたのでしょ?」
「地獄耳でいらっしゃる」
 悪意を込めて言って、また視線を下ろした。そこに、サルトールの肖像画あった。
「こいつか……身の程知らずめ」
 苛々したように吐き捨てる。
「不幸を嘆いても仕方がないわよ。不幸は踏み台にして未来へ進むもの」
「説教か?」
 眉を顰める。
「人生に苦痛は付き物。でも、現在だけを耐えればいい。過去はもう存在していないし、未来はまだ存在してもいないのだから」
「そんなんじゃない。ただ納得いかないだけだ」
 ファイルを閉じる強い音が、低くこだまする。
「あなた一人が歩みを止めても、時代の流れは留まれない。これからも、こういう情報が人間社会に漏れ続けるでしょうよ」
 ミカエラの澄んだ視線から逃げるように、オーギュストは立ち上がる。そして、ヴェガ山脈の見える窓に立つと、しばらくその黒い姿を眺めた。
「そうだな。今は俺の遣るべき事だけ考えよう。出来もしないことに固執するのは、俺らしくもない」
 大きな溜め息を吐いて、ぐいと首を下へ折る。それから、縮まったバネが大きく跳ねように伸び上がった。

 サルトールは深い洞窟の暗闇の中で、前、右、左から、光を全身に浴びていた。
「エリース湖の汚染は今や誰の目にも明らかである。しかるに、責任ある教会や王侯は、それを認めようとしない。諸君らの苦しみの根源はエリースの穢れにあ り。世界の混乱の諸悪は、ここに由来する。我々はそれを正さねばならない。正すべき力も、エリースの導きにより、ここにある」
 予言の書を片手に持ち、サルトールは背後を仰ぎ見た。光がそこへ集中する。
「世界を浄化する力、『リンガ』である。これこそエリースが私を選ばれた証である」
 そこで、大きな歓声が湧き起こる。信者達が一斉にエリースへの祈りを捧げ、サルトールを称え始めた。
 だが、突然鳴り響く早鐘によって、完璧調和をみせていた詠唱が崩れる。
「第一ゲートから兵が攻めて来ます」
 僧兵が悲鳴のような報告をする。
「何! トラップはどうした」
「解除されたようです」
 サルトールは顔を歪めて、「役に立たぬ物を寄越して」と唸った。
「申し上げます。第二、第三ゲートも突破されました。もう逃げ道はありません」
 サルトールは憤怒すると、銀色に澱む巨大な鉛筆状の物へ駆け寄る。
「やってやる。やってやるぞ。見るがいい、神の力を!!」
 サルトールは不快な笑みを浮かべて、操作盤を弄り始めるが、その腕に矢が突き刺さった。
「ちぃ、ディーンか!?」
 狂ったように叫ぶ。
「俺は忙しい。即死ね」
 次々と信者達が討ち取られる中を、オーギュストが堂々と近づいて来る。
「あの女が言っていた。必ずお前が現れるだろうと」
「それはそれは、ご丁寧に」
 オーギュストは歩みを止めず、真っ直ぐにサルトールへ迫る。
「では先に地獄で待っていろ。パールもすぐに送り届ける」
「どうかな?」
 サルトールが不敵に笑う。
「私を見縊[みくび]らない事だ。お前への対策も――」
 言いながら、青白い薬錠を飲み込む。と、サルトールの体が周囲の空間に溶けるように揺らぎ始めた。
 しかし、不敵に笑っていたサルトールの顔が、急に驚愕の表情に変わる。一つの瞬きの間に、オーギュストは眼前に立っていた。そして、額を圧倒的な力で掴んでくる。
「げっ!」
 首の関節を固められたまま、背後に押し倒される。そして、顔の上に膝が落ちて来た。
 サルトールは言葉を発する余裕も与えられず、悲鳴の代わりに、首の骨が砕ける音を鳴らして絶命する。
「お前が消えるのを、わざわざ待っていられるか!」
 オーギュストは言い捨てた。

 ミカエラと別れた後、オーギュストはペルレス率いる精鋭兵五千とともに、ヴェガ山中へと出撃した。
 偵察部隊が野原のように山腹を駆け回り、サルトールの足取りを捕捉する。直ちに、サルトールの篭る洞窟を包囲すると、タイミングを見計らって、一気に制圧した。
 ペルレスに聖騎士の戦い方と精神を叩き込まれた兵達は、一糸乱れぬ連携で、一つの無駄さえも感じさせなかった。鎧袖一触とはこの事であろう。
 戦いが終わると、オーギュストはその場で恩賞を与えた。勇気を称えてあるルーン文字が刻まれた『黄金の腕輪』である。
「ファルメル」「ヴァメル」「キャメル」「スワメル」「トクメル」「バロメル」「クワメル」「ブルメル」
 皆、ヴェガ山中出身の者達で、山岳地帯での戦闘に非常に長けていた。以後、『ヴェガの八腕(又は黄金の八腕)』と呼ばれ、オーギュスト麾下の戦士として武勇を轟かせる。

 オーギュストは『リンガ』を登って、山頂に出る。雪で厚化粧された岩山だが、ポツンポツンを粗い肌の巨石が顔を出していた。薄い大気を仰げば、青い空へと伸びる稜線が、まるで竜のように畝っている。足元の絶壁を覗けば、ランス盆地が雲海に沈んでいる。
「美しい……」
 この絶景に、オーギュストの心が清く澄んでいく。
 ふと岩の隙間に湧水がたまっているのを発見した。
「美味い」
 手で掬って飲むと、天然の炭酸水で、世界一と断言できるほどの味である。 思わず微笑みが零れた。そして、自分の愛する者が住み、守るべき物がある場所を見下ろす。
「まるで霧の国(ニブルヘルム)だな」
 胸に些かの曇りもなく、呟いた。


【アルテブルグ】
 世界各地で、新しく迎えた年を平和な時代の第一歩にしよう、と喜びに包まれた式典が催されていた。
 その中で、最も盛大であったのは、新帝都アルテブルグで間違いないだろう。
 皇帝となったヴィルヘルム1世は、その偉業と威光を天下に遍く示そうと、威信をかけて祝賀際を企画構想した。人々もその絶大な影響力に、安定を期待して、喜んで跪き礼拝している。
 ここに、神威府を代表して、マザランが出席していた。彼はオーギュストの代理人として、第一賓客の高待遇接待を受けていた。黄金に煌めく部屋、豪華な食 事、美酒に美女と、つい最近まで、田舎の小役人に過ぎなかった彼には、白昼夢のような日々であったろう。ほんの数日の間に、顔中の筋肉が緩み、体重は10 キロ、女性経験数は二倍に増えた。
 ヴィルヘルム1世に対するオーギュストの貢献として、最も評価されているのが、『伝国の三秘宝』の扱いであろう。
 アルティガルド軍の圧力に、ホーランド朝は、シデを介して、『伝国の三秘宝』を献上した。しかし、それが本物か偽物か判別できず、ベレンホルストをして、大いに悩ましていた。
 元々、三秘宝は宮殿宝物庫の奥深く、皇帝しか立ち入る事の許されない神聖な場所に、安置されていた。帝国の正式な式典でさえ、レプリカが使用され、本物を見た事がある者は誰もいなかった。
「三秘宝を戴く者が皇帝なのではなく、皇帝が持つ物こそが秘宝なのです」
 こうオーギュストは進言した。秘密性を逆手に取った提案である。これにヴィルヘルム1世は小気味良く膝を叩き、ベレンホルストも小さく北叟笑んだ。
 こうして、一先ず、ホーランド朝との緊張関係は棚上げとなり、アルティガルド軍はロードレス神国へ集中できる体制が整える。


【セリア】
 公王となったアベールは、新ルミナリエ宮殿を居城として、政務を執り行っていた。しかし、宮殿の豪華絢爛に比べて、セリアの荒廃は根深く、街は底の見えない不況に苦しみ、財政的には窮めて厳しい状況にあった。
 流通は滞り、深刻な物不足から、インフレは天井が見えない。経済がどん底だから、継続的な税収を見込めず、公共投資などの経済活性化を図る予算を組む事が出来ない。予算がないから、経済はさらに落ち込む。まさに悪循環であった。
 アベールは『徳治政治』を掲げていた。道徳により民を治める政治を目指していたのだろう。武断的な為政者に厭きていたセリア市民は、この教養高い紳士的な君主を歓迎した。
 しかし、未だ社会は安定した訳ではない。魑魅魍魎が闊歩する乱世で、一向に復興の兆しも見えない中、迅速な改革のできる、豪腕君主を望む声が芽吹き、次 第に根を広げていた。アベールの側近の間からも、その政治姿勢の『甘さ』を指摘する声が上がり、セリア公国の足並みは早くも乱れ始めていた。
 ただし、セリアの治安は良好と言えた。
 街の警備を担っていたのが、アゼイリアの父、左将軍リシャール・ド・ベアールと勇猛な三人の息子である。アルティガルド帝国セリア駐留軍の支援もあり、荒々しい処置で成果を上げていた。
「数年でアベール公王は退位して、幼いアゼイリア様の御子(後のフィリップ)が即位されるだろう」
 これが世間一般の予想である。これを反映してか、新年の挨拶に、多くの市民がアゼイリアの居住するテルトレ離宮に列をなした。貢物の質も量も、アベール を遥かに陵駕していたらしい。誰もが、アゼイリアの子の父親がヴィルヘルム1世だと知っており、その後ろ盾を含めて、期待感が高まっている証であろう。
 新ルミナリエ宮殿を訪れた、外部からの謁見者は、サイアのカフカ一人という寂しい状況である。
 そのカフカは、権力の源泉であったカレンをオーギュストに攫われて、サイアでの影響力を急速に失っていた。
 そっとアベールに耳打ちする。
「対立したと見せかけて、ティルローズ様を追放するのです。ティルローズ様が頼れば、旧臣たちは受け入れましょう。そして、内と外から攻めれば百戦百勝は間違いありません」
 まずは、元聖騎士パスカルのマーキュリー要塞を狙う、とカフカが言う。そこを拠点に、次の標的はカッシーのロックハートだろう。こうなれば、セリアを中原に確固たる基盤を成立する。しかし、アベールは首を横に振った。
「ティルにそんな才覚はない」
 ティルローズを気遣ったようだが、本心では、旧臣の忠誠心と言うものを信じられなかったからである。アベールは猜疑心の目をカフカに向ける。
 こうして、時が流れていく。


【三月、リューゲン島】
 冬が終わり、厳しさが緩んだドネール湾で、二隻の大型船が無人島のリューゲン島に、碇を下ろしている。
「メル、もう大丈夫なの?」
「はい、お姉さま……」
 黄昏時、ローズマリーとメルローズの姉妹が、島の小さな灯台の下で再会を果たした。まるで別々で過ごした時間を填るように、しっかりと抱き合い、いつまでも互いを呼び合い続ける。
 オレンジ色の光に包まれた二人を、やや離れた所から眺めて、オーギュストは微笑み、ラスカリス・ファン・デルロースが涙ぐんだ。
 オーギュストは海賊討伐を口実にドネール湾へ出ると、懸案だったサリス姉妹の再会を実現させた。
 東の空に群青色の夜が迫る中、ようやく姉妹が身体を離す。それを合図に、砂浜で親睦の宴会が始まった。
 満開の星空の下、砂浜に焔が立つ。
 オーギュストはラスカリスに酒を注ぎ、
「スタールビーの王冠が危ない」
 と呟く。
「……」
 言えば何かしらボロが出る。ラスカリスは手詰まりという風に顔を硬直させて、じっと口を噤む。
「本物ならば、の話だが」
 オーギュストは限りなく勿体付けている。
「本物なら……」
 焦れに耐え切れず、ラスカリスは思わず口を開いてしまう。そして、酒を零してしまった。
「本物ならば――」
 オーギュストはもう一度繰り返して、酒を注ぎなおす。
「ロードレスが狙ってくるかもしれない」
 その言葉に、何故と眉を顰める。もう完全にラスカリスの心は透かされてしまっている。
「あれには、現存する唯一の『星の精霊』が封印されている。気を付ける事だ」
 言うと、持っていたグラスを一気に空にした。
「ロードレス戦線に、出られるのでしょ?」
 ラスカリスが問う。オーギュストがロードレスを滅ぼせば、取り越し苦労になる、と暗に言っている。
「アフロディースを欠いた状態で、山岳地帯に足を踏み込むのは危険過ぎる。それに彼女の身体も心配だし……」
 オーギュストは「ほら」と催促して、ラスカリスに酒を注がせる。
「では……」
「でも、ロードレスが平地に出てくるのならば、話は別だ」
「出てきますか?」
 自然と声が低くなる。
「さあ、アルティガルドの力量次第。それとゲオルギオス大主教の統率力も分かる」
「若手をおさえ切れるか、と言うことでしょうか?」
 オーギュストは微笑むと、ラスカリスの肩を叩いた。それにラスカリスは心からの歓喜を、拳を握り締めることで、素直に表す。
 オーギュストは立ち上がり、ギターを手に取ると、流木の上に腰掛けた。
 焚火の炎が、オーギュストの頬を赤く染める中、丁寧に弦を爪弾き始める。潮騒が響く中に、錚々と弦の音が砂浜に流れていく。その曲調はオーギュストの武勇伝に比べて遥かに静かなもので、焚火を囲む人々には、やや意外であり、やや退屈でもあった。
 人々は声こそ顰めたが談笑を続け、酒を飲み続ける。
 そして、オーギュストは『逢いたくて……』と歌い始めた。出だしはありふれた男女の別れを連想させて、安易ささえ感じさせた。しかし、中盤で大切な人を 偲ぶものだと気付かせると、それからもう一度『逢いたくて』と情感たっぷりに歌い上げれば、聞く者の琴線を共鳴させた。あやふやだった歌詞が氷解するよう に一本に繋がり、愛する人を失った悲しみを、美しい詩と優しいメロディーとで表現している。
 一同の心が熱く痺れていく。
 ある者は立ち上がり、ある者は涕泣する。もはや一切の声もなく、ただオーギュストを感傷的に見守る。ここにいる誰もが、今次大戦で、家族恋人友人など大切な人を失っている。
 歌い終わると、頭上の星空から無数の流星が降り注いだ。まさに奇蹟のような一瞬であった。全ての人が、瞼を焼くような熱い涙でその頬を輝かせていた。
 ローズマリーは流れ落ちる涙をそのままに、翳のない笑顔をオーギュストへ真っ直ぐに向けると、ゆっくりとその肩へ寄り添って「ありがとう……」と囁いた。
 その時、一斉に、アンコールの拍手が巻き起こった。

 深夜、「じゃ……」と船室のドアを閉めようとするローズマリー。強引に入室するオーギュスト。そして、「だめよ……」とローズマリーは弱々しい声をふり絞り告げたが、オーギュストは全く怯まない。右手で素早く、細い左腕を掴んだ。
「だめ、あっ……」
 引っ張られて、間近に瞳と瞳が迫り、ローズマリーはもう一度拒絶するように顔を小刻みに震わせた。
「俺の気持ちはあの曲に込めた。分かって欲しい」
 オーギュストが囁く。
「え?」
「この悲しみを分かち合えるのは、俺達二人だけだ」
 真摯な瞳で告げると、腰に右腕を回して、強く抱き締める。
 意外だった、とは言わない。ドアの蝶番が擦れる音を背中に聞きながら、心臓は爆けんばかり波打ち、肌は火が出ると思うほどに熱く滾っていた。そして、実際その引き締まり、しなやかな腕で包まれると、魂が海のようにわき立つ。
――ああ、温かい……
 二人は貪るように口付けをかわす。それは本能を剥き出しにした荒々しい行為であった。
 餓えた狼のような手付きで、オーギュストは、荒々しくドレスの胸元をずらし、何の躊躇いもなく裾を捲り上げる。
 激しさに翻弄されながらも、ローズマリーは、動物のような呻き声をもらして、身体の力を抜いていく。
「もっと大きな声を出せ」
 オーギュストは乳ぶさを捏ねるように押し上げる。
「あっ、う……うん、あああん」
 唇が離れると、ローズマリーは艶やかに喘いだ。そして、乳首をしゃぶられると、白い首を仰け反らして、さらに昂ぶった声を発した。
 オーギュストは乳首を吸いながら、左腿の内側を撫で回し、さらに、壁へローズマリーを押し込んで、その左足を持ち上げた。
「ひぃ、あ、あ、ああン」
 無防備になった秘裂を、ショーツの上からなぞられる。ローズマリーは腰を悩ましげに揺すり、容の整った胸を露にした半裸の肢体を捩らせ、そして、切なげに喘いだ。
 オーギュストは一気にショーツを降ろす。
「あっ……」
 ローズマリーは小さい悲鳴を上げた。
「もっともっと淫らに!」
 柔らかい恥毛の茂みをかき分けて、指は熟した女の裂け目を犯す。ショーツの中では、とっくに熱く蒸れ濡れていたらしく、熱い雫が下がったショーツまで糸 を垂らしていた。瞬く間に指に蜜が絡み付く、その愉悦な感触に、指先はさらに敏感になり、掻き回す動きもさらに潤滑になっていく。
「あひぃ、す、すごいッ……あン」
 軽い目眩がローズマリーを襲う。
 オーギュストは、朦朧とするローズマリーの片足を再び担ぐと、先端を熱く蒸れた膣口へと押し込んでいく。
「ひッ……あぁぁあぁ……」
 ローズマリーはそれだけで、甘くよがった。そして、まるで催促するように腰を円く蠢かせる。
「本性を剥き出しにしろ!」
 オーギュストの叫びに呼応するように、ローズマリーも卑猥な雄叫びを上げる。
「おっきいぃ、おチンポが…いッ…いっぱい……ッ!」
 それは圧倒的迫力で、膣穴を満たし尽くす。今まで欠けていた物を填めたような満足感があり、絶対的な支配力を秘めていた。
「ああン」
 甘美な悦びに、顔を蕩けさせた。かり首は的確に急所を掻き、二つの異質の秘肉が溶け合っていくようだった。
「ああんっ…だ、だめぇ……すごっ……すごい……と、熔けちゃう……」
 深く侵入される度に、オーギュストの存在を熱く感じる。それはとても心地好い温かさで、安らぎと優しさに満ちていた。まるで、心の奥深くまで頑なに氷結していた感情の闇が、春の麗らかな陽射しに氷解していくようだった。
「もう……もう、もう……」
 目の前が白く霞む。唇は幸福感に酔い痴れて、力無く半開きとなり、ふしだらにも涎を一筋零す。
「あっ、あっ、あっ……」
 しんと静まった深夜の船内に、ローズマリーの息遣いだけが響き渡る。
「アアア……うううッ!!」
 そして、壁に寄りかかり、爪先を突っ張らせ、背中をそり、美しい肢体を痙攣させながら絶叫した。
「ギュス……」
「マリー……」
 感極まった二人は、まだ下半身で繋がりながら、熱く見詰め合う。そして、再び唇とぴったりと重なり、濃厚な口付けを始めた。
 二人は舌先を出し合って、淫らに絡み合わせる。互いの口の周りは、交じり合った唾液で濡れ光る。
 オーギュストはローズマリーの太腿を抱かかえて、ベッドへ運ぶ。そして、仰向けに押し倒すと、叩きつけるような激しい出し入れを繰り返す。それに綺麗なお椀型の乳ぶさが、輪舞した。
「ああ…気持ちいいの…し…幸せよ……」
 ローズマリーの赤い唇から、陶酔した情痴の迸りが吐き出される。オーギュストは白い陶磁器に浮かんだ汗を舐め取る。
「うああん……うん……」
 ローズマリーは卑猥にその長い脚を、腰に巻きつけた。
「あっ、ああっ、ギュス……あたし……あたし……」
 二人は極限まで昂っていく。
「……ああ!!」
 視界が、桃色に染まっている。まるで雲の上を歩いているように、ふわふわとして気分がいい。そして、ずっとこのまま二人で一緒に居たいと思った。


【四月、セリア】
 ティルローズは湖畔のグリーズ離宮に滞在していた。
 グリーズ離宮は湖の水を引き込み、干満を利用して池の雰囲気を変える。カール大帝の時代に、鷹狩場として整備され、その後、第8代皇帝アレクサンドル5 世の次男、ルイ大公の屋敷として大改造が行われて、ほぼ現在の形になった。ルイ大公の長女ルイーザが、第10代皇帝カール4世に嫁ぐと、屋敷はサリス皇室 のものとなり、水辺の離宮として整備された。
 ティルローズはここを拠点に、エリース聖教会要人と頻繁に会い、書簡の交換を行って、宗教界との関係を深めていた。そして、女神像や鐘楼の再建のため に、多額の寄付を次々に約束していた。教会の修復を急ぐ事で、目に見える復興を市民に示し、人心を落ち着かせようと考えての事だが、さらに、個人的にエ リース聖教の支持を得ようとの思惑も含んでいた。
 この事業を支えているのが、シデ大聖堂の司祭ファイナ・デ・ローザスである。その安らぎに満ちた瞳と聖女を思わせる微笑、そして、何よりもその見識の高さと信仰心の厚さに、ティルローズは強い信頼を寄せている。
 そのファイナが、一人の令嬢を紹介した。
「こちらが、カロリンヌ侯爵令嬢フランソワ様です」
「お父上には急なことで」
 ティルローズは頭を下げる。カロリンヌ侯爵とは、昨年のサイア会議で会っている。その時は元気そうに見えたが、たった数ヵ月後に病死した。
「父は社会変革の必要性を理解してはいましたが、一方で自己変革を痛烈に拒絶していました。その矛盾に心身ともに疲労していったのでしょう……」
 フランソワは目を伏せる。
「時代に適合して生き抜く気力がなく、いっそ華々しい時代と共に滅びたい、と思われる方が多いようです……。皆さん、崇高な精神を有していらっしゃる方ばかりなのに残念です」
 ファイナが嘆くように言う。
 その言葉通り、不可思議な事だがカリハバール戦役終決後、まるで伝染したかのように、貴族当主の死が続いていた。皇室傍系の公爵バルタザール・ド・ルブ ランもその一人に加わる気配で、サイア会議から帰国後、急速に体調を崩し、またそれを回復させようとする気概も見せず、現在病床に臥している。
 ルブラン公国の弱体化は、ライバルであるオルレラン公国の勢いを推進させた。カロリンヌ侯爵家の家督相続に露骨な介入を始めている。
 カロリンヌ家には4人の男子がいたが、この乱世で全員が戦死した。そこで長女のフランソワが後継者に指名されたが、これに親族が噛み付いた。フランソワ では軍役を担えない、として従兄、叔父など7人の親族が分割相続を要求した。これらの背後にオルレランの影がちらついていた。
 しかし、黙って分割されては、侯爵家としての体裁を保つ事もできなくなる。悩んだ末に、フランソワはティルローズを頼って来た。元々、女性相続の切っ掛けを作ったのが、カール5世であり、ティルローズ自身もシデ大公妃を叙爵している。さらには、ティルローズの背後にあるシデの大戦力への期待も見え隠れする。
「分かりました」
 ティルローズは話を聞いただけで、明確な行動を示唆しなかった。これにフランソワは落胆の色を隠せず、肩を落として退室していく。それを見送りながら、ティルローズは下唇を噛んだ。
 自分にもっと力があれば、と痛切に思う。
 そこにファイナが戻って来て、そっと手紙を差し出す。伯父、聖パトロ大聖堂キュリアクス・ド・ローザス大司教からである。
「やはりこの不況の裏にも、オルレラン公爵が関わっているのか……」
 ティルローズが身を乗り出し、狼狽した声で言うと、ファイナは大きく頷いた。
 セリアの西、モンベルの森の出入り口に位置するモンディアを支配するオルレランは、木材や鉱石の流れを止めた。さらに、エリース湖上では私掠船を操って、セリアの商船を集中的に襲わせている。こうして、セリアは決定的な物不足に追い込まれていた。
 さらに、セリアの中下級官吏などを金で買収して、アベールの政策に一々反対するよう使嗾[シソウ]した。例えば、少ない予算の中、アベール政権が港湾施 設整備計画を発表すれば、治安安定のために城壁強化を要求させ、軍備の充実を優先しようとすれば、貧民救済を要望させた。このような布石によって、セリア にはアベール対する不満が充満するようになった。
 また、視野を広げると、サイアを巡って、オーギュストとアベールの対立を強調する噂を流し、シデとアーカスの利害衝突も仕組んでいる。

「取り敢えず、アベールに相談しよう。クレーザー将軍を呼びなさい」
 ティルローズは、シド・ド・クレーザー武衛将軍に護衛されて、新ルミナリエ宮殿へと向かった。鉄の格子でできた正門を入ると、広大な広場がある。そこは限られた要人しか馬車で乗り入れる事が出来ない。玄関前には、三台の馬車が駐車していた。軍の最高幹部である、
レオン・ホセ・デ・ガルシア前将軍、
ゴーティエ・デ・ピカード後将軍、
ジャン・フェロン後将軍のものである。
 勢揃いしているから、この日は重要な軍議が開かれているらしい。
「しかし、駒が不足している」
 オーギュスト、リューフ、ナルセス、ロックハート、パスカル、ヴィユヌーヴ、鎮守府軍時代とは比べようもない。
 この三将軍の中で、ティルローズがよく知るのは、ポーゼンで一緒だったピカード後将軍だけである。元サイアの騎士で、アベールへの忠誠心は敬意に値す る。後頭部まで禿げているが、まだ30代と若い。地味で寡黙だが、責任感が強く、仕事に誠実で、統率力に長けた良将であろう。
 後の二人については、個人的に好印象はないし、人伝でも良い評判を聞かない。職務を私物化して、賄賂を貰い、私腹を肥やしている、という悪い噂が立っていた。
 ジャン・フェロン後将軍は、アベールの片腕だが、素姓はよく分からない。カリハバール占領下で、民兵を率いて抵抗運動を続けていたらしく、その指導力、組織力には定評がある。しかし、かつて指揮した民衆を、今は取り締まる立場にあり、裏切り者として悪名を轟かせている。
 ガルシア前将軍は、遊び人風のアーカス貴族である。気障な細い髭、おしゃれな縮れた栗色の髪、教養があり会話も洒落て、顔立ちも整い精悍なのだが、残念ながら身長が低い。それで全てのバランスが微妙に崩れて、やる事が全て滑稽に見えてしまう。

 しばらく待って、アベールの執務室に案内された。執事や侍女達の挨拶や仕草が、戦争前の宮廷作法と寸分狂わないに事に、居心地の良さを感じていた。
 床の絨毯は落ち着きのある赤を基調として、波形の模様が描かれている。壁は木片を積み重ねて、木のぬくもりや優しさを感じさせる。文学青年だったアベールらしい、と思う。ふいに、昔アベールが姉に詩の一節を論じる姿を思い出して、懐かしく思う。
 そこに、ぞっとするような人の存在を感じた。顔を向けると、銀髪の男が顔を上げる。『銀の氷剣』と異名されるカフカがいた。
「良いところに来た」
 アベールは難しい顔で言う。
「実はカフカがおもしろい提案をしている。ティルの協力が必要らしいから、一度説明を聞いて欲しい」
 ティルローズが怪訝そうに見ると、カフカは軽く会釈する。
 カフカが言うには、ホーランドを攻め時らしい。
「パルディア王国が動く切っ掛けを欲しがっています。南北から攻めれば、忽ち攻め滅ぼせるでしょう」
 アベールは唸りとも頷きとも取れる微妙な声を出す。
「しかし、シデやアルティガルドが放っておかない、と思うが?」
 ティルローズが軽く問う。
「だから今なのです。ロードレス戦役が本格化すれば、おいそれとは転戦できない」
「カフカは、ロードレス戦役が長引くと読んでいる」
 アベールが補足的に言う。
「シデのナルセスやディーンが勢力を拡大できたのは、偏にカリハバール戦役での武勲にあります。これに代わるのは、ホーランド戦役しかございません」
「分かるが――」
 ティルローズは下唇を噛んで暫し考える。このままではオルレランに、セリアは日干しにされてしまうだろう。
「パルディア、信用できるのか?」
 それから慎重に問うた。その問いこそ、アベールの本心であったのだろう、アベールが思わず身を乗り出している。
「この世、完全に信用できる者など居りません。所詮、利用し利用させるものです。それさえ分かっておれば、泥濘に足を沈める事もないでしょう」
 カフカが冷笑を湛えて、不敵な言い方をする。
「しかし、軍資金を確保する目当ては?」
 ティルローズは軽い頭痛を感じながら、小さな溜め息を吐いた。いつも金に苦しめられる。
「それこそ、相談したかった事だ」
 アベールの声にも力が篭る。
「大聖堂建設費を流用して頂きたい」
「なっ!?」
 思わず、眼を瞠る。
「ホーランドを滅ぼした後は、その富を利用して、第二の大運河をセリアサイア間に建設します。そうすれば、シデは先細りとなり、我らは栄華を手にする事でしょう。大聖堂の規模も2倍にも3倍にも出来ますぞ」
 カフカは自信に溢れていた。その堂々とした声に、ティルローズは引き込まれていく気がした。
「どう思う?」
 アベールの声は迷い切っている。まるで縋るようでさえある。
「私には……」
 分からない、と答えようとして、妹の顔が浮かんだ。
「メルはどうなるのだ?」
 鋭く詰問する。
「大罪人です。諦めて頂きたい」
 咄嗟に、アベールを睨む。その視線から逃げるように顔を背けて戻さない。
――この男が弱いのではない……これが普通なのだ……
 不意に何もかもが虚しくなった。

 帰りの馬車の中、ティルローズの表情は暗く沈んでいた。総ゆるものが猜疑{うたが}わしく、何一つ真実味を帯びていない。今自分がここにいる事もオルレランの策謀のように思えてきた。
 ふいに強烈な寒気がして、肩を抱いた。まるで肌も肉を剥ぎ取られて、骨の間に魂が剥き出しのような錯覚を覚える。
「ギュスならば、道を示してくれるのに……」
 呟いて、すぐにその名を頭から振り払う。
 その時、馬車が止まった。シドが調べて、「ベアール兵とガルシア兵が言い争いをしていたようです」と報告する。
 一秒先さえも漆黒の闇に覆われている気がした。


【シデ】
 ナルセスは洗面台に向かい、蝶ネクタイをそわそわと直している。懸命に招致した名門清正女子音楽学院シデ校が、ようやく開校となり、この日入学式を向か えていた。ナルセスの気合の入り方は尋常ではなく、華麗な白い礼服も新調したし、ポマードもべったり頭に塗り込めている。
「旦那様」
 背後から、妻のエヴァが声をかける。ナルセスが「居たのか」と跳ねるように振り返った。
「少し宜しいでしょうか?」
「後にして欲しい。スピーチのチェックをしたい」
 それだけ言うと、鏡に向き直り、櫛で髪を整え始めるが、余りに真剣なエヴァの顔が鏡に写っているので、仕方なくナルセスは櫛を置いて振り返った。
「何だ?」
「出陣の準備をされているとか?」
「ああ、その事か――」
 ナルセスはにこりと笑う。
「アレックス将軍がアーカスと揉めている。総帥として看過できない」
 ヴェガ山脈の南側には『ムスペル谷』があり、良好な牧場が広がっている。この牧場を巡って、アーカス王国と、アレックスが対立を深めていた。
「しかし、議会での了承を得ていないのでは?」
 この解答に、エヴァは耳を洗って聞き直したい気分となる。
「議会にかけていては時間がかかる。なに、数週間で屈服させるさ」
「単独で戦われると?」
 エヴァの表情が曇る。
「当然だ」
 大胆不敵な口調である。
 この時、ナルセスは親族を故郷から呼び寄せて、重臣に抜擢している。ディアン家だけで、2万の軍勢を揃える事ができた。
「ルートヴィヒ(長男)にも。良い初陣となるだろう」
「少なくとも、リューフ殿にはご相談ください」
「アーカス如き、俺一人で十分だ。大軍で乗り込んで、鉄鎚をくわえてくれる」
 エヴァはナルセスの変わり様に唖然とした。
「旦那様らしくない……」
 かつてのナルセスは、自己の才覚に誇りを持ち、決して安売りする事はなかった。だが、自分の限界をよく知り、決して豪傑や軍略家などと増長する事はなかった。だから、リューフ、オーギュストと知り合った時、良き仲間を得た、と心から歓喜していた。
「戦に出た事のないお前には分からん。もう言うな」
 それが一変している。中原の一角に領国を得た事が、自信となり、ナルセスを英雄へと舞い上がらせたのだろう。こうなっては、男は厄介である。全ての成功が大器への約束された報酬と受け取り、もはや批判的な意見に耳を傾けることができない。
 エヴァは血の凍るような不吉な予感に戦慄した。

 一方、入学式には、姉妹校のオルレラン校から、学生が祝いに駆け付けていた。その合唱隊の中に、ナーディアの名もあった。
 新入生に向けて、厳粛な祝いの曲を歌うと、会場の隅へ移動する。そこから、学院長ガトーの長い長い演説が始まった。
「ねえねえ」
 と、左隣の友人が声を顰めて話し掛けてくる。
「ディーン将軍、来てるのかな?」
 友人は言いながら、そわそわと貴賓席へ視線を配る。ナーディアは「さあ」と興味なさげに首を傾げた。
「来ている訳ないでしょ」
 と、右斜め後ろの友人が、舌鋒鋭く言った。
「『月刊ディーン』によると、先月は海賊討伐で、今月は、ランス改め『ニブルヘルム』の原野で大演習よ。『兵の練度にも納得されて、間もなく出陣されるだろう』と某関係者もコメントしているわ。とにかく忙しいのよ」
 何故か威張っている。
「そうなんだ。会えるんじゃないかと思っていたのに、つまんないなぁ……」
 と唇を尖らせる。それに、「素人ね」と情報通の友人が嘯いた。そんな会話を、ナーディアは不機嫌に聞いている。
「ディーン、ディーンと言うけど、もうこの夏には父親だよ。何か家族臭がして、興醒めだわ……」
 と、ナーディアが大声で言うと、式場の空気が凍り付いた。オルレラン校生徒達は、「はっ」と神妙な顔で一斉に伏せて、嵐が頭の上を過ぎ去るのをじっと待つ。壇上のガトー学院長は、狂気の目で睨みつけた後、二度ほど咳払いをして、「そもそも本校は……」と演説を再会する。
「チィチィチィ」
 と、先ほどの情報通の友人が指を振る。
「英雄でも、跡取りは必要なのよ。ほら、1025ページの英雄評論家のインタビューにも、そう書いてあるでしょ」
 さっと指先の感覚だけでページを開く。
「でも、今もあの女とデレデレしているかもしれないのよ。減滅よ」
 ナーディアが吐き捨てるように言うと、背後で「そんな事しない」と泣き出す少女がいた。ナーディアはますます苛々してしまう。オーギュストからはその他 大勢扱いだし、フリオは偉そうに(実際に偉い)、高い所から命令口調で(伯爵家当主だから当然)、アルティガルドの王女とはデレデレ(ガチガチに緊張して いたように見えなくもない)した顔で、踊れて喜んでいた。
――フリオのくせにムカツク!
 ナーディアは思わず拳を握る。
「あんなの如何でもいいのよ――」
 情報通はあくまでも強気である。
「ただちょっと絶世の美人で、抜群のスタイルで、頭が物凄く良くて、ずば抜けて強いだけよ。私たちの若さには到底及ばないわ。もう伸び代もないしね」
 後ろから、「前座、前座」と囃す声がする。「問題はこいつ、こいつよ!」
 雑誌のエマの顔を、指でぐりぐりと抉るように押す。
「あの時、モンディアでは、私の方に熱い視線を下さっていたのに、父親の力を利用して、この泥棒猫め!」
 もうエマの顔には穴が空いている。声が大きくなりかけたので、周囲の者達が慌てて止めた。
「ごめんなさい、取り乱して……」
 情報通の友人は、髪を一度後ろに払うと、元の澄ました顔を取り戻す。
「でもね、沈まない太陽はないのよ。ここだけの話なんだけど、実はあたし……」
 その時パラパラと拍手が起きた。ガトー学院長が、殺気を漂わせながら壇上を降りて、代わってナルセスが上がろうとする。
 その時、式場背後の幕が落ちて、ピアノとシデで有名な歌手が現れた。すぐに警備が駆け出すが、同時に、ピアノが切々と悲しいメロディーを奏で始め、『逢 いたくて……』と歌い始めた。シデ爆発的に流行り出した曲で、『スターダスト』と題が付いている。それまでざわついていた式場が、水を打ったように静まり 返り、警備の足までも止まってしまう。大切な人を偲ぶ詩は、全ての人々の心を、そして時間さえも、あっさりと奪い取ってしまった。
「すてき……」
 ナーディアは両手を胸の前に組んで、瞳を輝かせる。


【7月、アーリス州改めニブルヘルム州】
 オーギュストは、州名をニブルヘルム、城名をルノワール城と改名した。未開や占領など、負の印象を払拭して、神威府の統治を浸透させる目的である。
 政務にも精力的に関わり、直接、家臣達に指示を与える機会が多くなった。
 具体的には、マザランに対して、刑法に三振法の採用を命じた。どんな微罪であろうとも、犯罪を三つ重ねると重罰を課す制度である。マザランは拝命した時 『過酷だ』と思ったらしいが、一般的には『ディーン将軍が2回も許してくださる』とその寛大さに感謝したと言う。それを聞いた弟子のヤンは『誤解されてい る』と憤ったが、隣にいたランは『弄られているだけよ』と返した。まあそれはさておき、治安面では効果覿面で、画期的に犯罪数は減っていく。
 兵器廠の皆藤には、山岳地帯でも扱い易いように小型で軽い弓矢の開発を命じた。威力が落ちる分は、魔矢の数を増やす事で対処するために大量生産体制の確保も急務となった。
 城下では、『ニブルヘルム大聖堂』の建設を始めた。オーギュストが設計した、壮大華麗な建築物である。子を抱いた女神の像が置き、壁と天井には、その子をあやすように舞う天使達を明るい色彩で描き、床には永遠に枯れる事のない花園をガラスとタイルで作った。
 最も力を入れているのが、ロードレスとの戦いを意識した、大規模な演習である。『魔術の反応を逸早く感知して、素早く防御結界を張り、孤立した敵を全員で包囲殲滅する』と言う状況を、何度も繰り返して全員に徹底させた。
 6月末の演習には、リューフ、ルグランジェ、ロックハートなども参加して、最大規模のものとなった。
 この演習は、ヴェガ山中ではなく、かつてアルティガルド軍の本陣があった場所で行われたために、オーギュストはカレンを同行した。そして、演習後の宴会では、幹部達に労いの言葉を送る。
「大義、諸君等の働きを頼もしく思うぞ」
 たった一言だけだったが、単純な男達は易々と疲れを癒されてしまった。
「ナルセスが秋にアーカス遠征を行うらしい」
 リューフが麦酒を注ぎながら言う。その声には批判とも、不安とも取れる翳が潜んでいた。
「ああ、相談はないが、聞いている」
「エヴァ夫人が、心配していた」
「女性はいつも心配するものですよ――」
 言ったのは、すっかり酔っ払っているルグランジェである。
「そんな事気にしてちゃ……男は戦えませんよ」
 言い終わると、今度は逆方向のロックハートに絡み出す。
「一度走り出した男は、倒れるまで止まらないものだ。放っておけ」
 オーギュストは言って、ジョッキを飲み干す。
「そうですよ。戦利品を奪われた、と怨まれますよ」
 またルグランジェが戻ってきて言う。
 リューフは「そうだな」と気持ちの入っていない返事をして、片手で樽を煽った。現実問題として、リューフも、心配事や厄介事の山積みで、そうそう不確定な不安要素にまで気を揉み続ける余裕はない。
 今度は、ロックハートが、ルグランジェを振り払い、麦酒を持って来た。
「もう我等の気は熟しているようだが、出陣はいつ頃とお考えか?」
「戦争は一人じゃできない。もう少し二国の状況を見定めてから」
 オーギュストは、麦酒を注ぎ返す。
「その際の先陣は、我等カッシー勢に任せて頂きたい」
 ロックハートは武人らしく言う。その直後、ルグランジェに覆い被されて、「いぎゅ」と変な声を発してしまう。
 ルグランジェは笑いながら「違う違う」と赤い顔をケラケラと回しながら喋り捲る。
「本当はアフロディース殿が気になって……ぐはっ!」
 言い終わらない内に、鋭い蹴りが後頭部を直撃した。そして、小次郎が滑るように現れて、気絶したルグランジェを運び出していく。因みに、朝日を浴びてルグランジェが目を覚ました時、草むらの中で案山子を抱いていたらしい。
 宴会場では、オーギュストとロックハートは何事もなかったように会話を続ける。
「しかし、オルレランとカフカが気になる」
 ロックハートの言葉に、オーギュストは無言で頷く。
「何より、この二人に翻弄される、ティルローズ様が心配だ」
 これに、高いアルコールを含んだ息を長く吐いた。
「しかし、意固地になっている女に対して、頬を叩けば言う事を聞くようになる、と言うのは、チープな物語だけの話さ」
 ロックハートは失笑した。

 宴会も終わり、夜の静寂が幕を降ろすと、天幕の中に、カレンの悶える声がこだました。
 天幕の中は、クラシックだが贅を尽くした調度品がズラリと並ぶ。天井から黄金のランプが吊り下がり、仄かに香が炊かれて室内をぼんやりと照らしている。床には、カリハバール産の絨毯が隙間なく敷かれ、その上に男女の服が乱雑に脱ぎ捨てられていた。
 天蓋のあるベッドの上で、二匹の獣が後背位で睦み合う。
「あっ…あっ…あっ…あっ…あっ…あっ…あっ……」
 カレンは枕に顔を埋め、下唇を強く噛み締めている。だが、全身を貫く圧倒的な快美の激流に、どうしても艶声がリズミカルに洩れてしまう。
 カレンは自分が情けない。今夜ここでSEXをする気など更々なく、早々にルノワール城へ戻るつもりでいた。否、もっとはっきり言ってしまえば、オーギュストの態度に頭にきていたのだ。
 アフロディースの部屋に入り浸るのは、出産前だから仕方がない、ローズマリーは、体調が悪いから気を使うのは当たり前。もっともな言い分ばかりで、吐き 出せない不満が、感情に要らぬ負担を蓄積させていく。ようやく一緒にいられると思えば、オーギュストは仕事に夢中でほったらかし、ついには武官への労いを 任される始末。
 宴会の途中、一足先に帰城しようと、手荷物を片付け始める。と、いきなりベッドに押し倒させてしまった。当然抵抗しようとしたが、瞳を覗き込まれてキスをされると、全身がバラ色の鎖で縛られてしまったようで、身動きできなくなった。
 こんなにも征服されてしまうものだろうか。男女の繋がりがこれほど拘束力があるものとは、深窓の美姫は想いもしなかった。
「ああっ! ま、またっ! あん! あん!」
 また、子宮口を突き打たれた。それまで浅く速く動いていたペニスが、不意に強く深く食い込んで来る。それまで以上の衝撃が、膣穴から脊髄を駆け抜けて、 一瞬で脳まで至る。快感に瞳が揺れ、唇から力が抜けて、だらしない涎が一筋零れる。もうセックス以外の事を考える余裕はない。
「ああっ…ああっ…うっ…くっ…だめっ…ま…また…ああああああああっっ!!」
 熱く濡れた膣壁を、太く固いペニスが抉る度に、視界はモノクロに霞み、その中で甘美な光がスパークする。脳細胞が艶美な炎に焼き尽くされていくようだった。
「ひっ…ひぃぃぃぃ! ああ…すっ…すごいッ! あぁぁぁッ!!」
 ああ、悦楽に溺れていく……、と惚ける思考の中で、ようやくそれだけが思い浮かんだ。
「うわぁぁぁ…あっ…めぇぇ…ひぁぁぁぁぁ!!」
 カレンが絶叫して、白いシーツを掴む。そして、尻を落として、満足げな表情で法悦にひたる。
 一方、オーギュストは不満げな顔で白い肢体を見下ろしている。
 ハレムに入って以来、カレンは決して上の下着を取らない。力尽くで、無理に取り剥ごうとしても、愛撫で気をやらせても、決して胸の前で組んだ腕を解かない。今夜こそは、あの可憐な蕾を見ようと、執拗に攻め立てるが、鉄のガードを崩せない。
 脇の下から腕と控え目な胸の間に手を差し込み、仰向けにしようとするが、その瞬間、あれほど呆けていたのに、「いや」と素早く、まるでワ国の柔術のように小さく丸まってしまう。
 気付いているかいないのか、この体勢は丸い尻と秘列が露骨に強調されてしまう。この時もぽっかりと空いた穴から、愛液が滴り、情事の後を生々しく見せている。
「く、口でするから、ねぇ」
 カレンはくぐもった声で、胸の変わりに、口での奉仕を申し出る。そんな事が小さな事と思えるほど、貧弱な胸を見られる事が辛いのだ。
「あぅ、うぅ…ふぅ、うふん」
 オーギュストの足の間に正座して、顔を伏せている。
 ジュプ、ジュ、グジュ、ジュルッ、ジュポッ……
 艶やかな髪が垂れ下がり、オーギュストの太腿の上に落ちる。それをしなやかな指が掬い上げて、耳の後ろにかける。いつもなら優雅なその仕草も、今は淫靡でしかない。
「んっ……んっ…んっ…んっ」
 カレンが焦れたように大き目の尻を揺すった。その衝撃で秘唇からたらりと滴が落ちる。窓のない部屋は、むせ返るような汗と体液の匂いが充満している。その中で、カレンはすっかり肉欲に沈んでいた。
 覚えてしまった甘美な快楽、言い様のない汚辱感、壊れたプライド、刻まれていく淫乱の烙印、溺れていく淫靡な世界、そのどれもがカレンを一匹の牝に変えてしまう。
 ふとオーギュストと視線が合う。カレンはオーギュストの目を見詰めながら、ずず、と吸い上げた。
「いやらしい瞳だ」
 オーギュスは優しく頭を撫でて、小さく呟く。
「ねえ……お願い…もう……」
 カレンはペニスを口から出して、縋るような濡れ光る瞳で言う。
「もう、何?」
 オーギュストの白々しさが憎い。だが、どうしようもなく身体が欲している。肉欲ばかりが肥大化して人格も塗り替えてしまった。
「い……」
 瞳が涙に濡れる。唇がわなわなと震える。
「いれて……あたしの……なかに……欲しいの……」
 獣のように、四つん這いになって、自慢の尻肉を振り立てる。こんな魅惑的な尻を見せ付けられて、オーギュストはもう妥協するしかなかった。
「俺のカレン……かわいいよ」
 オーギュスト圧し掛かり、耳元で囁くと、一気に貫く。
「あゅ、ひぃいッ!」
 カレンは火照った貌で、妖しく吼えた。

 情事の後の気だるさを残しながら、カレンがうつ伏せに寝ている。と、オーギュストが片手に二つのコーヒーカップを持って、寝室に戻って来た。
「手紙」
 ベッドの淵に腰を下ろしながら、さり気なく言う。
「手紙……?」
 カレンは薄目を開けて、だらしなく聞き返す。
「アベールからの手紙だよ」
 オーギュストはコーヒーを啜りながら言う。それにカレンは慌てて上体を起こした。その貌は戦々恐々としている。
「一度お会いしたいって……」
「兄として当然だな。それから」
 オーギュストの声はコーヒーの香りのせいか、静かに和んでいる。
 カレンは一瞬躊躇った後に、ゆっくりと口を開いた。
「……このままアルティガルドがロードレスへ本格的な侵攻を始めない事を、ギュス様の策略では、と心配していました。長期戦になるのか、それでも構わないのか、どう考えているのか、教えて欲しいと……」
 オーギュストは「随分、疑心暗鬼だな」と笑う。しかし、カレンの顔は強張っている。兄と恋人の間で板挟みになって、小さな胸を痛めている。それを察して、オーギュストはカレンの肩をそっと抱き寄せると、耳元で囁き始めた。
「ロードレスは街道を封鎖されれば、羊の毛も乳も運べない。輸出できなければ、穀物を輸入できない。必然、民は疲弊するだろう。後は、嫌がらせのように、 時折国境を越えて、一つか二つ村を焼いて引き上げる。それを繰り返していれば、現政権への不満が爆発して、内応者も現れるだろう」
 そこで、一度喉を潤す。
「会戦があるとすれば、雪の降る直前だろう。上手いこと、収穫だけ掻っ攫って行きたい。それはダメよ、とアルティガルドは網を張る。ロードレスとすれば、長い国境の何処を刺激して、どういう手順を取るかが腕の見せ所だろう」
「……」
 戸惑うカレンに、オーギュストは微笑んだ。
「そうだな、初冬にでも挨拶に行こう。心配ない。アベールと争うつもりはないよ」
「はい」
 カレンはようやく頬の緊張を解いた。

 7月になって城に戻ったが、この頃から、いよいよ落ち着きを失った。一時もじっとしておられず、仕事を求めて城内を何周も歩き回った。家臣達にとっては、迷惑この上ない。
 そして、この日は物理の講師が休みと知り、早速教室へ出向いていく。
「代行のディーンです」
 蝉がうるさく鳴く中、オーギュスは丁寧に挨拶する。しかし、教室の生徒は、誰一人状況が飲み込めない。
「こいつは助手のラロロ軍曹です。俺の尻ばかり追いかけているので、ホモじゃないかと心配しています。皆さんも気をつけるように」
 ランは震えながら上唇を上げて、牙となった八重歯を向ける。
「では、さっそくですが、この講義では『ロープ理論』について論じます。皆さんもご存知のように、ロープは人類に残された最後のフロンティアです。ロープ を通して、一、二、三次元を学び、四次元、五次元を考察したいと思います。最終的には皆さんに、『時空間亀裂に対する重力子の乱れと慣性制御』についてマ スターして貰いたいと考えています。以上、概要です。えーと、何か質問は?」
 即座にランは、「出来るか!」と叫ぼうとしたが、隣でヤンが「なるほどあのロープのあの結び目だな」と頷いているので、分からないのは自分だけかと不安に陥ってしまう。
「ではレロロ軍曹、五次元を表す公式を黒板に書いてくれ」
 ランの身体が塩の柱と化した。思考は真白になり、冷たい血が逆流して、かっと逆上せていく。
「うそったぁー」
 オーギュストがゲラゲラと笑う。隣のヤンまでも「びっくりした」と爆笑した。
 この時、ランの顔からすーと表情が消えた。
――今はダメだ。力の差がありすぎる。だが、孫の代では、必ずこいつ血脈を断ってやる!
 そして、子々孫々まで、呪う事を固く決意する。
 その時、本丸の方から、人々の歓喜の声が伝わってくる。まるで虹色の煌めき如きオーラが世界を包んでいくようだった。
 その瞬間から、オーギュストの耳に蝉の声が聞こえなくなる。眼前には、光の帯びがゆっくりと揺らめいて、頭は呆然と白く霞んでしまった。今自分が何処を歩いて、誰と話しているのか、よく分からない。ただ何人かの知った顔と抱き合ったような気がする。
 兎に角、気が付いた時には、白い絹に包まれた赤ん坊が、目の前にいた。
「……す、凄い」
 その指の余りの小ささに、そして、一切の穢れを知らないその美しい肌に、思わず感嘆とした声をもらした。こんな緻密で、本当に動くのだろうか、思わずそんな事を考えた。
「う、動いた!」
 赤ちゃんが、手を開いて、簡潔な掌の皺を見せる。
「壊れないのか……」
 壮絶な神秘さに絶句していると、今度は「アワワ」と欠伸するみたいに泣いた。
「しゃ、喋った!!」
 不覚にもたじろぐ。
「て、天才か……???」
 奇跡的に、その囁きは、誰の耳にも届かなかった。こうして、オーギュストは二十代になった日に、父親となった。
 一方、オーギュストにくっ付いて、どさくさに紛れで、この乳児を盗み見たランは、生命の神秘に感動する中、「女の子だけは勘弁してやろう」と涙ぐんだ。
 乳児は、アフロディースの祖母の名を貰って、ユリアと名付けられた。
 
 
 

続く
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Date:2011/12/06
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