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□ 幻想の嵐≪続エリーシア戦記≫ □

第三章 復讐の幻想

第三章 復讐の幻想


 正装して、赤い絨毯が敷かれた大理石の大階段を下りていく。大広間は、たくさんの人で溢れていた。
「新男爵、万歳!」
「新しい威北将軍に栄光あれ!」
 万雷の拍手で迎えられる。そして、その先頭に、あの曲者ユリウス1世が待っている。
「見事な戦いであった」
 感情たっぷりに、手を握りしめる。とても演技に見えない。演劇の道に進んでも、名俳優に成れただろう。
「いや、勝負は紙一重でした。アンドレス君は十分に強かったですし、もう一度戦えば、どちらが勝つか分かりません」
 心の中で舌を出す。
「もし彼に一つ足りないものがあるとすれば、それは経験だけでしょう。己と互角以上の者と戦ったのは、おそらく初めてだったのは?」
「うむうむ」
 ユリウス1世は、目を細めて、愉快そうに何度も何度も頷く。
「真に、めでたいですな、ユリウス殿」
 その隣に、小太りの冴えない風貌の中年の男が立っている。
「左様ですな」
 ユリウ1世に気さくに声をかけ、かつ、ユリウ1世から丁重な扱いを受けている。
「ほら、ちゃんと挨拶せんか。わざわざお祝いにいらっしゃったのだぞ」
「よいよい、ワシは貴殿のファンでしてな」
 屈託のない笑顔で親しみのある声で告げてくる。
「ほら、もっと感謝せぬか」
「あ、ありがとうございます」
 戸惑いながらも、頭を下げた。
「しかし意外ですなぁ。フェリックス殿が剣術に興味がおわりとは?」
「ワシも神威帝の孫ですからなぁ、あはは」
「これは失礼なことを申した」
 ユリウス1世が躊躇なく頭を下げる。
 その男は、それに愛嬌のある笑顔で「いやいや」と首を振り、「これですから」と大きな腹を一度叩いた。
「よい身体じゃ」
 そして、徐に近付いてきて、馴れ馴れしく肩に手を置き、それから、あちこち筋肉を確認するように擦っていく。
 たまらず、縋るように、ユリウス1世を見る。
「フェリックス殿、食事でもいか……」
 それを察したのか、ユリウス1世が、彼をテーブルに誘おうとしたが、その時、突然彼は雄弁に語り始めた。
「かつて、カール7世陛下が、次の剣術大会の勝者は誰か、とお問いになられた――」
「うぬ?」
 ユリウス1世が神妙な顔で聞く。
「即座に、ユリウス殿は、南陵流のラグナ・ロックハートだとお答えになられた」
「でしょう、な。ラグナは、南陵流の長い歴史でも5本の指に入る天才ですから」
 その意見に依存がないので、とりあえず、皆と一緒に笑う。
「その時レアル2世殿が、では北陵流の剣士はどうかと訊ねられた」
 会話を聞いて、心臓が高鳴る。おそらく、あの事件の直前のものであろう。その時以外に、レアル2世が北陵流に関心を持つ筈がない。
「だが、ユリウス殿は首を大袈裟に振られて、彼の敗因はラグナと同時代に生きた事だと答えられた。それで場の全ての者が大笑いしたものでした」
「ほお、そんなことがありましたかな?」「それ以来、ワシは、このシンという剣士が好きになった」
 再び肩に手を置く。そして、じっと舐めるような視線で、瞳の奥を覗き込んできた。
「ラグナという星を飾る衛星、そんなイメージがしたからじゃ。常にユリウス殿という巨星に霞むワシと似ている気がしたのじゃ」
「ご謙遜を」
 ユリウス1世が笑うと、視線を外して、彼もまた大声で笑い上げた。
「新しい家族に、乾杯!」
 そして、グラスを高々と掲げて、セリア中に聞こえるように大声で叫んだ。それから、壁を飾る美女たちの方へ歩き出す。
「よく覚えておけ――」
 一人の美女と踊り始める彼を見遣って、ユリウス1世が控え目な声でささやく。
「あれが、スピノザ=ディーン家のフェリックス1世だ」
「はい」
 緊張の面持ちで、小さく頷いた。
 その夜、祝宴は、朝まで続く予定である。

 欺瞞に満ちた挨拶を一通り終えて、静かなバルコニーへ避難した。所詮、役者にはなれないと、疲労感をたっぷり含んだため息が落としながら思い知る。
「お疲れさま」
 懐かしい女性の声がした。振り返らずとも、誰だか分かる。手すりに肘をついたまま、澄んだ声で返答する。
「ありがとう」
「いい挨拶だったわよ」
 女性は、隣に立ち、一緒に夜の庭を眺める。
「ビアンカ、君にもう一度会えてうれしいよ」

 ビアンカ・ド・パルドゥウィンはセリアでも有名な清純派の若手女優である。背が高く、スタイルが良く、仕草に品があり、笑顔が清楚だった。
 この日は、伸ばした髪を頭の両サイドで結って、ピンで留め、それを布で包んでいる。近年誕生した髪型である。当然、身にまとったドレスも、最新流行のもので、脚に大胆なスリットが入っている。


「あたしものよ」
「女優を続けているの?」
「ええ、もちろん」
「それは何より」
「ええ」
 二人は、人工の光を背に、きれいに整頓された庭を眺めている。左右対称の広大な庭は、照明の当てられた噴水が、幾つも闇に浮かび上がり、それらが何かの星座のように繋がっているようだった。それらの地上の星が強いために、夜空の星は霞んでよく見ない。
「以前君が出演していた劇を、先日グリューネルで見たよ。君の方が断然美しかった」
「当然でしょ」
 ビアンカは爽やかに笑う。顔に似合わず、実は気位が非常に高い。
「あなたは変わったわね。まさか貴族様になるなんて」
「服ばかりが派手になる」
 灰色のマントを一度ふわりと広げる。
「似合っているわよ」
「ありがとう。お世辞でもうれしいよ」
 根っからの田舎者が似合うはずがない。しかし、きっと似合うか似合わないなどどうでもよいのだろう。派手に動き回ることが役割なのだ、と気付き始めた。要するに、道化である。
「どうしていたの?」
「何も。酒を飲んで、女を抱いて、博打をして、喧嘩をしていた」
 そう見るべきものはすべて見た。驕り、挫折、絶望を経験し、そして今、復讐を遂げるところまでとうとう来た。そう思うと心が無邪気に躍る。
「倦怠の極みね」
「ああ、田舎者が煽てられて、勘違いして、いい気になって、届かぬ先に手を伸ばした」
 そっと手すりの上のビアンカの手に、手を重ねる。
「そして、何もかも失った」
 ビアンカは、掌を返して、指と指を絡ませる。
「よく死なずにいてくれたわ……」
 他人を思いやる、とても誠実な声だった。
「俺はね、もう一度人間をやりたくなったんだよ」
 エリース教の教えでは、自害すれば転生はできない、とされている。
「今生では、上手く立ち回ることばかり考えていた。誰よりもきれいなものを見て、誰よりも美味いものを食って、誰よりも陽気に笑う」
 脳裏に、ビアンカと二人で、夜の港を歩く光景が鮮やかに甦ってくる。あれは何の祭りの後だったろうか。彼女は濡れたハイヒールを手に持って、踊るように水たまりを避けていた。
「だが、全てを失って気づいたのは、誠実さだった。もし命が繰り返すのなら、俺は一人の女性を愛し、一人の女性のために生き、一人の女性のために死のう、と圧倒的絶望感の中でそれだけを願った」
「そう」
 濡れた、心に沁みる声だった。横目で見ると、誰からも愛される美しい女優が頬に、光るものがある。
「泣いてくれるのかい?」
「私は女優よ、3秒あれば泣けるわ」
 赤く染めた目元を、指先で拭うと、優艶にほほ笑む。心の底から美しい、と思った。
「そして、これからは?」
「分からない。俺は木石に過ぎない。何処に投げられるのやら」
 乾いた笑いを浮かべる。
「少しは自分を大事にしないさいよ」
「今さら難しいだろうね」
「私ね、あなたを演じるつもりなの」
「へーえ」
 ビアンカの細く長い指が不意に伸びて、扱けて傷んだ頬に触れた。少しひんやりする手だった。
「だから、無様なことはしないでね」
「ああ、心がけるよ」
 ふっと手が離れていく。心底、名残惜しく感じた。
「シン様、殿下がお呼びです」
 その時、侍従が呼びに来た。
「それでは男爵様、失礼いたします」
 女優は、他人行儀に一礼して、くるりと背を向けて、その場を離れていく。

 ユリウス1世は、紹介したい人がいると、小さなサロンへ案内した。
 そこは間口3m、奥行き8mの細長い部屋である。床に紫がかった紺色の絨毯が敷かれ、壁は腰までが木製の板で、その上をまた絨毯と同じ色に塗られている。天井には紺碧の空が描かれ、大きなシャンデリアが吊り下げられている。外壁に面した間口には横幅一杯まで大きな窓が設けられて、その前に木造の重厚なテーブルが置いてある。
 テーブルに、女性が二人いて、親しげに談笑している。
「右がティルで、左がグレタだ」
 指を指して、ユリウス1世は紹介する。
――逆だ、爺!
 肖像画などで何度も見ている。
 左にいるのが、サリス皇女ティルローズである。
 腰まで伸ばしたさらさらの黄金の髪、顔は小さく、瞳は青く澄み切り、そして、手足はすらりと長い。
 腰を細く絞ったドレスで、胸元は大きく開き、内側よりレースをのぞかせて、裾全体には花の刺繍が施されている。
 もう一人は、陽光のような金髪を三つ編みにして、それを後ろで丸く結い上げている。顔立ちは少年のように凛々しい。
 体形を極端に変える下着を着用せず、自然で直線的なシルエットのドレスを着ていた。
 そんな情報が眼球に映し出されている。
「逆ですよ」
 やんわりとした声で、右の見知らぬ女性が言う。
「そうか。最近目が悪くなって、若い女の子の顔がみんな同じに見えるのだ、がははは」
 豪快に笑うユリウス1世を、ちらりと冷やかな目で見る。
――それは目のせいじゃない。歳のせいだ!
 男として、こうはなりたくないと、強く思う。
「ほら、審判だ」
 今度はきちんとティルローズを指す。
「こっちは……」
 言いかけて、ユリウス1世の口が止まる。
「何で君がここにいるのだ?」
「ふふ」
 悪戯っぽく、その女性は笑う。
「それは、予感がしたから、面白そうだって」
「君はそうやって、何処にでも顔を突っ込むねえ。ご両親もさぞ心配だろ」
「もう諦めています」

 彼女は愛称グレタ、本名はマルガレータ・フォン・シュタウフェン=アルティガルド(エストディーン)である。アルティガルド王国の王女である。じゃじゃ馬姫として評判で、思い立ったら、一人で何処へでもふらふらと出掛けてしまう。

 とりあえず、遥か雲の上の存在である二人に、跪いて挨拶しようとする。と、ユリウス1世が襟を掴んだ。
「ディーンは膝を折らん」
 低い声で鋭く告げる。
 怒られたことよりも、本物の前で、そう言われて、カッと顔が熱くなってしまった。
「ようこそ、ディーンへ」
 優しい声でささやき、グレタが手を差し出した。その手に触れると、思いの外強く握り返させて、不覚にも心臓が激しく鳴った。動悸が治まらぬまま、ティルローズとも握手する。こちらは摘まむような感じだった。
「それじゃ、後は若い者どうし」
 ユリウス1世は、それだけで、さっさと退室する。一人残されて、まさに蛇に睨まれた蛙状態となった。一向に脂汗が止まらない。
「この紅茶美味しい」
「でしょ、ふふ。実はこれ――」
「そうなの、すごい。実は私も――」
「それはこうでしょ……」
「いえいえ、こうじゃなくちゃ……」
「へーえ、やるわね」
「あなたも」
 皇女と王女は、楽しげに紅茶を飲み続ける。
「彼は有名剣士なのよ」
 突然、話題が転じて、いきなり当事者となった。急に胸が刺されたように痛む。
「そうなの、ごめんなさい。知らないわ」
「グレタは、剣術大会に詳しい?」
「いいえ、スポーツは見るよりやる方が好きだから」
「お転婆ですものね」
「まあ、行動派と言ってほしいわ」
「ごめんなさい」
 二人は笑い合う。
 そんなことどうでもいい、と内心で舌打ちをした。早く終わらせてほしい、と焦りのような感情が湧く。
――なぜだ?
 この苛つきの原因を自問しかけた時、脳裏に古い記憶が蘇る。

『待ちなさい!』
 野良猫を追いかけて、塀の上に上る少女の後ろ姿が浮かんだ。
『危ないよ』
『あの子猫、怪我しているのよ。あたしが助けてあげるの』
 後先考えずに、まず行動していた。


 声も姿も、似ても似つかないが、何処か同じような空気を感じる。
「木剣は苦手なの?」
 いきなり、そのグレタが問い掛けてくる。
「いえ」
「少し手古摺っているように見えたけど?」
「今回は、受けの剣を使い、負けにくい戦い方をしました」
「受け!」
 グレタが目を丸くして、やや大きな声を出した。さらに、ドレスに紅茶をこぼしてしまう。
「失礼」
 そう言い残して、グレタは洗面室へ向かう。
「この部屋をご存知か?」
 二人きりになった瞬間から、ティルローズの表情は硬く真剣なものになっていた。
「いいえ」
「この部屋はテードに在った物を模したものだ。この部屋で、神威帝は、サリス帝国再興を誓われた、という」
 ディーン一族の邸宅には、必ずあるらしい。だが、それを敢えて言う真意が分からず、ただ次の言葉を待った。
「で、サリスのために働けるのか?」
「……」
 突然の問いに、脳に警鐘が鳴り、心臓の鼓動が急激に速くなる。
「ユリウス殿から聞いている。貴方は無口らしいな。まあいい。おしゃべりなだけの男は必要ない」
「……臣は」
「もういい。互いの事はおいおい知っていこう」
「……な、何を?」
「わたくしからの条件は、闘神オーディンのように女神エリースを崇めて貰えたら、それでいい。貴方の条件は?」
「……?」
「……」
「……??」
「……」
「……???」
「早く」
「……????」
 戸惑いは頂点へと達した。誰か替ってほしい。

 翌朝、ユリウス1世に、道場へ呼び出された。
「ティルローズ様とはどうだった?」
「うまく会話が噛み合いませんでした」
「まあ、ぼちぼち行こう」
 ユリウス1世は、少年のように軽やかに笑う。
「会話の中に神威帝を示唆する言葉がありました」
「ほお」
「一度聞いてみたかったのですが、本当に強かったのですか?」
「強い? そんな言葉では追いつかんよ」
 笑いが消えていた。複雑な思いがその目に浮かび、それらを心に仕舞い込むように固く瞼を閉じる。そして、目尻に深い皺が刻まれた。
 どれくらいの沈黙が流れただろうか、ゆっくりと目を開く。その時には、いつもの静かな眼差しに戻っていた。
「今日は、特別にお前にも伝えよう。絶対的強さというものを」
 二人は立ち合う。
 悠然と立つユリウス1世を前にして、緊張が漲る。体にひしひしと重圧が圧し掛かっている。
――これ程とは……。しかしッ!
「はぁああ!!」
 先手必勝とばかりに、渾身の一撃を振り下ろす。正確な剣筋がユリウス1世の頭上を襲う。
 ユリウス1世も木剣を放つ。
 二本の木剣が正面から衝突する。
 力は互角。
「馬鹿な……」
 そう確信した瞬間、ただ呆然とするしかなかった。
「何かの間違いだ……」
 唖然として、現実を拒否するように、さっと後ろに飛ぶ。そして、より詳しくそれを確認する。間違いなく木剣が根元から折れている。
「もう一度だ!」
間合いを取り、再度撃ちこむ。が、結果は同じだった。木剣同士が衝突すると、こちらだけが折れてしまう。
「そんな……」
 力負けした訳ではない。まるで剣が二本あり、その架空の一本に、横から払われたような感じだった。
「考えるからだ」
 ユリウス1世の抑えた声が、動揺した心に刺さる。
「素晴らしい集中力だ。指先の動きさえもその目は捉えていた。剣才もなかなかだ。動きを正確に予測していた。だが、感じていない」
「何を……感じろと?」
「全てを、だ。空気の流れ、壁に掛かる花の匂い、空間全てのあらゆる人と物の存在を正確に把握するのだ」
「そんな…事が……」
 無言で立ち尽くす。
「出来るのだ。ディーンの剣、神威十字剣ならば!」
「はい……」
 あまりの衝撃に、項垂れながら返事をした。
「お前は、あのラン……ラン・ローラ・ベルの血を引いている。必ず我がものとしよう。その力をもって、ディーン一族を救え」
 この時から、『神威の奥義』を究める修行が始まった。

 連日、道場に一人篭る。
 繰り返して、頭の中で、ユリウス1世の言葉を再生する。
『千変万化する敵の意識を感じ、それに柔軟に対処する。そのためには無形であらなければならない。無の状態から千変万化する無意識無想の剣へと変遷するのだ』
 声が出ない。
 全ての答えが目の前にあるような気がする。しかし、全く掴みどころがない。
 考えれば考えるほどに、細胞の一つ一つが燃えるように震える。それが恐怖に怯えたためか、歓喜に心躍らせているためか、それすら理解できない。
そんな日々の中で、突然、鷹狩をするティルローズの護衛を命じられる。
 嫌、とは言えず、しぶしぶと『アプフェルバウムの森』の館に行く。
 館では、慌ただしく、侍従たちが準備に追われていた。
「護衛なら、我々が責任を以て務めます」
 警備用の小屋をうろうろしていると、禁軍の中で、ティルローズ直属の女騎士『セシル・クワント』が言ってきた。長身の身体に白亜の鎧を纏い、碧い空の欠片のように澄んだ眼が、美しく凛々しい。
 追っ払いたいようで、口調に棘がある。
「男爵は、お仲間と、お喋りでもお楽しみ下さい」
 参加者は数人だが、前日から食事会やら、舞踏会やらがあり、翌早朝から、森の中へ出発する。そして、森の中の館で、昼食を楽しむ予定になっている。
 このまま出ていくのも癪だ。
 徐に顔を近付ける。
「如何にエッダの名剣士といえども、実戦では引けを取らぬぞ」
 セシルは睨み付けて剣を握った。
 不意に頬を緩めて、微笑みかける。そして、
セシルの前髪をさっと上げた。
「額を出した方が可愛いよ」
 そう告げて、すっと身を引く。
「ふざけるな!」
 払い除けようとしたセシルの手が、虚しく空を切る。
「それじゃ、また」
 肩越しに手を振って、小屋を出ていく。

「よう、シン」
 やることもなく独り突っ立って、侍従たちの手際の良い働きを眺めていた。
 そこに、陽気に現れたのはシャークである。いきなり抱き着いてきて、無邪気に再会を喜んでくる。
「お前がいないんじゃ商売にならない。お前と一緒なら、幻獣も竜も恐るるに足らず……だったのだが、もうハンターは廃業だ」
「そうかい」
 正直どうでもいい。
「今ウェーデル山産の酒の行商している。今日は祭りだそうだな。がっぽり儲けさせてくれよ」
 手を捏ねながら、にやにやと勝手なことばかり言う。
「さて、仕事があったなぁ、俺行くわ」
 時計を見て、歩き出す。
「待って、待ってくれよう、見捨てないでくれ……」
 シャークが、濡れ落ち葉のように、脚にしがみ付いてきた。
「わ、分かった」
 仕方なく、酒を買う。侍従を呼んで、荷車を用意させた。
「おいおい、なんだ、この量は?」
荷馬車に大きな酒樽を三つ乗せている。
「姫様は、どんな酒豪だよ」
「部下に配ればいい。人心掌握の常套手段だろうが」
 体を密着させると、肘で脇腹を突きながらささやく。
「仕方ないなぁ……」
 結局、押し切られてしまった。背を丸めて、領収書を嬉々として書く姿が憎たらしい。
 こうして、一際大きな荷物を率いて、森の中へと入る。
 指定されて、ティルローズの横を歩く。彼女は愛鷹を優しく撫でている。宮殿の中での生活も息が詰まるのだろう。表情が生き生きしていた。
 すると突然、辺りがどんよりとして重い空気に満ちてくる。そして、洞穴から禍々しい気配が飛び出てきた。
 顔が三つある幻獣ケルベロスである。
 即座に、ティルローズの前に立つ。
「……大きい」
「遠近法です」
「……そうなの?」
 じりじりと、細心の警戒をしながら下がる。
「ガルルルル」
 突然現れた人間に、ケルベロスはすごく機嫌が悪くなったようだ。怒りの咆哮を上げている。
 そして、荷車の横まで来て、ピーンと考えが浮かんだ。酒樽を荷車から引き落とし、ケルベロスへ転がす。
 ケルベロスは古典通り、人ほどの大きさのある口を開いて、酒樽を一飲みする。
「きぃええええ!!!」
 雄叫びを上げながら、ケルベロスに突進する。眼前に迫るケルベロスは、ティルローズの言葉を借りずともやはり大きい。
 思わず、足がすくむ。
 その瞬間、ケルべロスの前脚が襲ってくる。
 必死に間一髪避ける。避けたはずだったが、その鋭く強大な爪が、胸を切り裂いていた。
 ケルベロスは、ゆっくりと後ろ脚で地を蹴った。
 『不知火』を顔の横に立てる。
――敵は三つ! それ以外は構うな!
 ケルベロスは口から涎を垂らし、目を剥いて、飛び掛かってきた。
「ケルベロス返し!!」
 渾身の斬撃を繰り出す。
 白い閃光が縦に一閃する。
 ケルベロスの中央の顔を切り裂くことができた。しかし、左右の顔が襲ってくる。
 もう間に合わない。
 無意識に、横に一閃放っていた。
 ケルベロスの残った顔が二つとも、横に切り裂かれた。そして、魔のオーラを発散させながら消えていく。
「……勝った、のか?」
 大きく息を吐きながら、力尽きて地に伏す。
 辺りはそれまでと一変、元の清々しい森へと変わっていく。

 気を失い、高熱を出し、三日三晩眠った。
 起きた時、その物々しさに首を捻った。侍従を捕まえると、
「セリアで内乱です」
 と震える声で言った。それ以上、事情を知らない。
 『アプフェルバウム館』は、禁軍が守りを固めている。その中から、唯一言葉を交わしたセシル・クワントを見つけ出した。
 彼女は、髪をポニーテールにして、額を全開にしていた。
「何が起こっている?」
単刀直入に説明を求めた。
「先日、レアル2世殿下が崩御されました」
 享年51歳だったという。
「その日のうちに、政府は、ソロモン・ディアスへ逮捕状を発行しました」
 ユリウス1世の仕業に間違いない。
「で、ソロモンは?」
「約500の騎士を集め、さらに、オルテガ=ディーン家に援軍を求めたが、喪に服していると相手にされなかったそうです」
「馬を、馬をくれ!」
 セシルの肩を掴んで、必死に頼み込む。彼女は初め躊躇したが、最後には、最も足の速い馬を貸してくれた。
 休みなく馬を走らせ、ようやくセリアに戻った時にはすっかり日は暮れていた。

ソロモン邸は完全に包囲されていた。
「最悪だ!」
 歯軋りしながら、地面を蹴り上げた。
 ソロモン邸の正面と搦手から、ほぼ同時に戦闘が始まっている。
 ユリウス1世は、戦いが無意味に拡散する事を嫌い、一日で戦いを決しようと力攻めを命じたらしい。だが、ソロモンの手勢はよく守った。数度に及ぶ突撃を、激しく矢を射掛けて後退させた。
「風上より火を放て」
 それで、ユリウス1世は、容赦ない命令を下した。周囲に火が広がる恐れがあるが、それよりも勝たなければ意味がない、と判断したらしい。
「攻めよ」
 ユリウスの声が響き渡る。
 火はあっという間に、門や塀を包み込んでいく。煙に燻し出されるように、一騎、一騎と門外に出てくる。それを包囲軍は取り囲んで討ち取っていく。
「突撃せよ。必ずやソロモンの首を討ち取れ」
 精鋭部隊が突入する。
 それを止める力は、最早ソロモンの手勢に残っていなかった。
 ソロモンは館に火を放つと、息子と二人で毒入りのワインを飲んだ。その一部始終が、窓ガラスに映し出されていた。
「バカな!」
 独り慟哭する。
 だが、それを聞く者は誰もいない。焼き焦がれた空に、虚しく消えていく。
「俺はまだ何もしていない!!」
 膝から崩れ落ちた。
 哀しいのか、うれしいのか、悔しいのか、恥ずかしいのか、頭も体も痺れて、何も分からない。
 眼球がぐらぐらと蠢く。まるで船に乗っているように、左右に視界が揺れている。
 近くで鳥がうるさく鳴いている。五月蠅いと怒鳴り掛けて、ようやくそれが自分だと気付いた。
 口を動かしても、嗚咽が出るばかりで、空気を吸えない。胸が鎖で締め付けられたように、腹が熱鉄を飲み込んだように痛む。このまま死ねたならば、どんなに楽であろうか……。
 そして、小さな岩のように蹲ったまま夜が明けた。
 火は治まり、多くの兵が、ソロモンの遺体探索を始めている。しかし、瓦礫が多くて難航しているようだった。そんなどうでもいいことが、眼前で繰り広げられている。
 こうして『ソロモンの変』と呼ばれる騒動は終わった。

 一人で、セリア港のオーディン像を眺めていると、そこにラグナが現れる。
「帰っていたのだな」
「ああ」
「大変だったな」
「ああ」
 ラグナは、横に座る
「これでセリアの治安もよくなるだろう」
「そうだな」
「カイザーリング大公爵は、出家するらしい。これで次期皇帝はティルローズ様だ」
「ああ」
 ラグナの声が全く耳に入ってこない。世情の話題など、何の関心も持てない。
「沙月さんには、会わないのか?」
 キョトンと親友の顔を見た。不思議と体の中に何の響きもない。空っぽなのだ。骨も肉もない、ただ大きな空洞があってそこを乾いた風が吹き抜けている。
 別れとは不思議なものだ。あれほど互いを知り合っていたというのに、今は何も知らない。何処にいて、誰を見て、何を話しているのか、見当もつかない。
 調べれば、居場所ぐらいはすぐに知れるだろうが、そう分かっていても、どうしても腰が鉛のように重い。
「……会ってどうする?」
 初めての感情の篭った声は、卑屈な響きを含んでいた。
「優しい言葉をかけてやればいい」
 ラグナは、雪のように真っ白で、何処までも誠実な男である。尊敬もするし、導いて欲しいとさえ思う。その真っ直ぐな正道を共に歩めたら、どんなにか清々しい人生であったろう。
 だが、それ故に、道を踏み外した者の気持ちを理解することはできない。
 何を以て優しさと言うのか?
 どこに救いがあるのか?
 誰が信じるに足るのか?
 いつこの心は許されるのか?
 友よ、正道の申し子よ、答えてみせよ!
「きっと彼女も喜ぼう」
 脳が痺れて、視界が揺らぐ。そして、言い訳ばかりが次々に浮かんでくる。
「砂時計をひっくり返しても、時間が戻るわけじゃない。時間は流れ去っていく。隔てた空白の日々を埋めるすべはない」
「そうか?」
「……」
 涼しいほどの声で、疑問を呈する。それに一驚を喫した。
「信じる心があれば、そんなものは乗り越えられる。要はお前の心次第だ。愛とは見返りを求めぬものだぞ」
 何と強く眩しい輝きだろう。もうその瞳をこちらに向けないでほしい。
 俺は誰も信じたことはない。
 俺は誰にも優しくしたことはない。
 好意を唯貪って生きてきた。
 これはその報いなのか?
 だがしかし、そもそも、ラグナよ、お前の言うことが、この狂った世の人間に実現可能なのか?
「……すまない、独りにしてくれ」
 頭を渦巻く強烈な思考に、今にも狂い出しそうだった。親友に危害を加える前に、一人になりたかった。
「分かった」
 ラグナは立ち上がり、優しく肩を叩いた。
「君は僕達の希望だ。今の覇道政治から王道政治へ、この国を導けるのは君しかいない。……立ち直ってくれ」
 そう言い残して立ち去っていく。
 一人になって、オーディン像に問い掛けた。
 これが、俺が望んでいた復讐なのでしょうか?
 こんな中途半端な気持ちを、俺は望んでいたのでしょうか?
 教えてください、オーディンよ!
 エリース湖から吹く冷たい風が、髪を靡かせる。
「いいや、こんなものの筈がない。ソロモンとは一体何者だったのだ……?」
 自然と下を向く。そして、足元の小石を見た。
「結局、奴も俺も、この小石か……」
 その小石を掴む。
「ソロモンも俺と同じ組織の一部に過ぎなかった。……組織、では、俺は……?」
 どうすればいい?
 組織を潰すのか?
 この帝国を滅ぼすのか?
 そんな事は出来ない!
「……ならば……どうする……どうすればいいのだ?」
 小石を手の中で転がす。
「相手が組織ならば……そうだ……全てを乗っ取ろう。組織を潰せないのなら、その組織のトップに俺が立つ!」
 力強く立ち上がると、石を湖面へと投げる。
「それが俺の復讐だ!」
 石は水面の波に軽く弾き返された。


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Date:2013/02/04
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Thema:18禁・官能小説
Janre:アダルト

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