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□ エリーシア戦記75 □

第75章 疾風勁草

第75章 疾風勁草


【神聖紀1235年8月下旬、アルティガルド王国ティーアガルテン州】
 夏霞――。
 視界は淡く霞み、肌を掠める風は心地よく涼しい。日差しは清々しく眩しく、遠く、世界の屋根ウェーデリア山脈の雪渓が白く輝いている。俗に、早起きは三文の得というが、その意味をようやく知り得た気分である。
 男たちは、重い甲冑に包まれた身体を起こし、ややひんやりとする兜をかぶる。雄々しい紫色の羽根が風に靡いた。
 この爽やかな夏の朝も、あと小一時間もすれば、ギラギラとした耐え難い蒸暑と変わり果てるだろう。そして、揺れる夏草は無残に踏み潰されて、薫風は咽返るような血の香りに澱む。
 しかし、季節が廻れば、また力強い雲の下に夏芽は勇ましく育つと信じている。
「命を惜しむな!」
 紫紺のマントを翻す騎乗の騎士が、紫光のオーラをまとう剣を空に翳す。
「名こそ惜しめ!」
「おお!」
 戦士たちが槍を衝き上げて呼応し、大地がどよめいた。
「突撃!!」
 今、鬨の声が響き渡る。

 攻めるは、アルティガルド王国の最精鋭、紫紺騎士団。守るは、サリス帝国のロックハート軍。
 ロックハート軍は、アルティガルド中部の平野にある独立丘陵の一つに布陣している。
 その丘は【男山】と呼ばれ、戦前からサリス軍が、兵糧の備蓄拠点に想定していた場所である。
 標高は50メートルほどあり、洪水の際には遊水地となる池沼の中にぽっかりと浮かんでいる。北へむけてゆっくりと高くなり、最澄部からがくんと急峻に落ちて、その裾は沼地に消えている。
 古くに地元の有力領主によって大規模な城塞が計画されたが、政局の変化により、中途で放棄されている。
 丘の上に、主塔と城館で囲まれた主郭があり、南側へ、二郭三郭と段々に配されている。さらに、南西に位置する【姫山】を組み込んで、出丸としている。
 ロックハートは、昼夜を問わぬ突貫工事を行い、この男山と姫山の間の谷間を城壁と空堀で塞いでしまった。サリス軍の土木技術の高さが伺える事例であろう。

「斉射三連!」
 その谷間の城壁へ、無数の矢が放たれた。
「前進せよ!!」
 その矢嵐の下を、亀のようにシールドを並べたアルティガルド歩兵がじりじりと前へ進んでいく。
 カチャカチャカチャン!
 矢は堀を越えるが、尽く厚い城壁に弾かれて落ちる。
「応戦せよ!」
 今度は、城壁の狭間から、反撃の矢が放たれた。
 カーン!!
 銀色に輝くシールドに、黒い影をまとう矢が殺到する。大多数は華々しい火花と甲高い金属音を残して勢いを失うが、運が良いのか悪いのか、シールドの隙間をすり抜けた少数派が、兵の肩を穿つ。
「怯むな、進め!」
 倒れた兵を踏み越えて、シールドの列は進撃を続ける。
「敵は乱れているぞ。攻撃の手を緩めるな!」
 城壁からも絶え間なく、矢が放たれ続ける。
「耐えろたえろ」
「射よいよ」
 それぞれの最前線の指揮官の威勢のいい声が、戦場に飛び交う。
 そして、大きな犠牲を払いながらも、ついにアルティガルド歩兵は、堀の前の柵に到達する。
「よし、よく耐えた。反撃せよ」
 シールドを下ろすと、大型のボウガンを構える。
「放てぇ!!」
 弦の振動が重低音を轟かせ、金属の弓が鋭い悲鳴を上げて反りを戻す。その反動で、転がる兵もいる。
 ドドーン!!
 短い矢は、城壁を貫通して、その背後で矢を番えていた守備兵を射抜いた。
「狼狽えるな。被害を報告せよ」
 城壁の守備兵が一時的に混乱し、射撃数ががくんと減る。
「走れはしれ」
 軽装の歩兵が梯子を担いで走る。
「急げいそげ」
 そして、堀を越える梯子を架けると、剣を抜いた騎士が登って行く。
「よく狙えよ」
 堀に張り出した櫓に立体的に陣取った弓兵が、梯子の上の騎士を横から狙う。
「間隔を空けるな、押せおせえ」
 側面から脇腹を射抜かれて、騎士が堀に落ちていく。それでも、現場の指揮官は、次々に騎士を送り出していく。
「女神エリースよ、御照覧あれ! 一番乗りは……ぐがッ」
 ようやく一人の騎士が城壁に取り付いた。しかし、最後まで名乗ることも許されず、その胸を槍が貫く。
「踏ん張れぇ!!」
「集中を切らすな!」
 命がけの激戦は続く。
 アルティガルド軍の攻めは鋭く、果敢に攻め立てる。それにロックハート軍も粘り強く防いだ。
 しかし、この世に無限に続くものがないのと同じで、然しものアルティガルドの歴戦の勇者たちにも、次第に、疲れと息切れが見え始める。
 一方、ロックハート軍の防御に破たんは見えない。最前線の兵士を定期的に入れ替えて、傷を治療し、軽い食事と休息を取らせて、五月雨式にまた戦場へと送り出していく。
 やはりアルティガルド軍の攻めは無理攻めだった、とロックハート軍の士官たちが思い始めた頃、巨大な杭を乗せた荷台が戦場を迂回して、城門へと向かっていく。
「腰を入れて力を籠めろ」
 杭の上に乗った派手な衣装の男が、大仰に扇を振って囃し立て、荷台を押す人夫たちを扇動する。
「きばれきばれ」
「エンヤコラっ!」
 人夫たちが威勢のよい声で答えて、呼吸を合わせて一斉に荷台を押す。
「もひとつおまけに」
「エンヤコラっ!!」
 城門に迫ると、さすがに、城壁に気を取られていた守備兵も気付く。
「これ以上、近づけさせるな。放てェ」
 慌ただしく、城門の上から矢を放つ。しかし、その矢は尽く、頑丈な鎧で全身を覆った護衛の重装歩兵に憚れた。矢をシールドで防ぎ、大剣で叩き落とし、時には、身を挺して守り抜く。
「回せまわせ」
 城門の前は、枡形になっているために90度回転させねばならない。その間、守備側は狙いたい放題であり、重装歩兵にも人夫にも被害が増え続ける。
「補充せよ、空席を作るな」
 上の者の指示により、間断なく人員が穴埋めされて、杭を載せた荷台の動きは止まらない。
「それ、ぶつけろ」
「エンヤコリャ」
 杭が扉を叩く。
 城門全体が激しく揺れた。
「もう一丁」
「エンヤコリャア!」
 扉がくの字に変形する。
「最後だァ!」
「エンヤコーぉリャぁぁぁッ!!」
 渾身の力で、人夫が荷台を押し、杭が扉を貫通した。
「総員、剣を抜け。突入せよ!!」
 騎士を先頭に、重装歩兵が、一気呵成に城門をくぐっていく。
「侵入した敵は、そう多くはないぞ。虱潰しにせよ」
 門の裏で、守備兵たちが槍衾を形成する。
 城内は、二つの丘の谷間が広い広場になっていた。左手側に出丸の丘が切立ち、右手側に小さな池があり、その向こうに三郭と二郭が待ち構える。
 道は池を迂回して三郭へと進む。が、そのために、絶えず、出丸側から側背を攻撃させることになる。
「突破しろ、俺たちは雑兵ではない。アルティガルドのエリート戦士だ!」
 槍襖を前に、脚が止まる。そこへ、頭上から矢や石が降ってくる。とても戦闘態勢を維持できる状況ではないが、アルティガルド重装歩兵たちは、屈強な精神力と鍛え上げられた肉体で懸命に戦闘を継続する。
 ひゅーーん!
 その時、宙から、気の抜けたような、調子の狂った笛の音が聞こえてきた。
 ドドーン!
 一瞬、蒼穹が翳る。と、池の向こうの石垣が地響きとともに崩れ落ちた。
「何だ?」
 訝しがる守備兵たちの足元に、池の波紋が押し寄せる。その次の瞬間、傍らの池に、巨大な水飛沫が舞い上がった。
「投石だ……」
「まごまごしていると潰されるぞ……」
「何処かに隠れなくては……」
 顔面を蒼白にして守備兵たちが怯える。
「当てずっぽうだ――」
 間もなく、若い士官が、声の限りに叫びながら、兵士たちの間を走り回った。
「早々当たるものではない!」
 しかし、再び宙に奇怪な音が鳴り渡り、巨大な影が頭上を掠める。今度は、双方の将兵の目にもはっきりと巨石の形が見て取れた。そして、池の縁に落ちて、轟音をともに大量の砂を巻き上げた。
「回避しろ!」
 確実に、狙いが正確になってきている。士官が険しく命令するが、具体性に欠けているせいで、兵士たち右往左往するばかりである。
 その時、四度目の破壊音が轟くと、出丸の守備隊が吹き飛ばされていた。
 アルティガルド軍は、投石の落下地点を城内に侵入した専門家に観測させた。そして、その数字を大きな赤い旗を振って、城外へ、城外から司令部へ、司令部から小山の麓へ、麓から尾根へ、尾根から山頂へと素早く正確に伝達させていた。
「山影に、退避しろ」
 守備兵は戦意を喪失して、主郭へと退却していく。

 この古城が建築途中で放棄された大きな理由として、すぐそばに【親山】と呼ばれる小山の存在がある。
 現在は小さな修道院があるが、ここからは城内を見渡すことができた。
 飛び道具の主流が弓だけであれば問題なかったのだが、巨大な投石機が開発されると城は危険な場所となった。
 この城塞を十分に機能させるならば、城郭の規模を大きくして小山を取り込むか、小山を切り崩して平らにするしかない。費用対効果を考慮して、城は完成されることはなかった。

「敵は、大手道の吊り橋も落とし、その瓦礫で埋め門を塞いでしまいました」
「そうか、ご苦労」
「はっ」
 報告を終えて、伝令が下がる。
 アルティガルド軍司令部は、城下の農家を接収して、その土間に置かれている。
「吊り橋に、埋め門ですか……」
 副官が縄張り図を見詰めながら、ため息を落とした。角張った顔に口髭を生やし、目は細く窪んでいる。律儀な堅物の軍人という風情である。
「城壁の兵も隠し門で退却しましたし、サリスの、ロックハート軍の土木技術も大したものです」
「何、与えられた任務に対して、予めに与えられた選択肢の中から、比較的まともな選択を繰り返しているだけだ」
ジェラルド・ハインツ・シュナイダー将軍がコーヒーで喉を潤しながら答えた。
「故に、その行動に、閣下の想定を超えるものがない、と?」
 傍らに控えている参謀が問う。
「そうだ。所詮、サリスの将官は、指示待ちの木偶の坊ばかり――」
 強大な権力を持つ絶対君主の元では、その部下は小粒になりがちである。
「アルティガルドの社会で言えば、課長係長クラスばかり。戦局全体を見渡し、自分で任務をコントロールできる者はいない」
「御意」
 幕下の参謀たちが大きく頷いた。
 これが、シュナイダーの掲げる戦略の根幹である。このサリス軍の組織的弱点を衝くことに、彼らは勝機を見出している。
「それで将軍、このまま主郭まで攻め潰しましょうか?」
 最も若い参謀が、血気盛んに身を乗り出す。
 副官は渋い皺を眉間に刻んで、不快感を顕にした。
「平参謀風情が、余計な口出しをするな」
「は……」
 忽ち恐縮する若手に、シュナイダーは笑みを見せる。
「此奴は、真面目だが人当たりが悪い。気を悪くするな」
「は、はい……」
 引き攣った頬が多少は弛むが、今どんな表情をすればいいのか分からないのだろう、眼を忙しく泳がせている。
「敵はなぜ籠城してまで徹底抗戦を続ける?」
 真顔に戻り、シュナイダーが問う。
「……」
 若い参謀たちは、一斉に互いの顔を見合わせたが、誰も答えることができない。
「援軍が来ると信じているからだ」
 シュナイダーは時間をかけずに答えを示す。
「では、我々を挟み撃ちに?」
 咄嗟に、未熟な若者たちの顔に、不安の色が差す。
「奴らは自ら穴熊に篭ったのだ。もはや急激な出撃はできない。その時間を利用して、援軍をまず叩く」
「あ……」
 今度は一斉に、ほっと眉を開く。
「索敵の範囲を広げよ――」
 その時、副官が声を張った。
「発見次第、この地に見張りを残して、全軍をもって出撃する」
「御意」
 敬礼すると若い参謀たちが飛び出てく。
「閣下――」
 副官は穏やかな表情で、シュナイダーにコーヒーを注いだ。淡い湯気とともに、爽やかな香りが立ち上る。
「この位で心を折らないでください」
「分かっている。全軍の底上げをせねばならんのだ」
 正直なところ、人材不足は、アルティガルドも同じである。軍組織を再編して、優秀な人材も揃えたが、それらは前線に配置せねばならず、相対的に、シュナイダーの周りに経験の不足する若手が残ってしまった。
「戦いながら育てねばならぬ。貴公の協力にも期待する」
「微力ながら、お手伝いいたします」
 副官が踵を揃えて、恭しく首を垂れる。
「すべては勝つために」
 シュナイダーは、薄汚れた窓ガラス越しに外を眺めて一人囁いた。


 同州境、街道上――
「また止まったか?」
 街道を東へ進軍するサリス軍が、真夏の射すような日差しの下で停滞していた。半日行軍した後でもあり、兵士たちは、背中にびっしょりと汗をかいている。
「また来たぞ。まったく……」
 その横を騎馬が土埃を舞い上げて駆け抜けていく。兵士たちは、露骨に忌々しげな顔をして、埃で汚れた顔を拭う。
「申し上げます――」
 先頭から来た騎兵が、部隊の司令官である
ルートヴィヒ・フォン・ディアンに駆け寄った。
「先の小川を越えた平野に、敵の騎兵が分散しています。おそらく布陣する場所を探しているのでしょう」
 木陰に幕を張っただけの簡易的な司令部である。その中心に、若いディアン将軍が床几に腰を据えて、その傍らに同世代の参謀が立っている。どうしても俄かな印象を与えてしまうことは否めない。
「……」
「ご苦労。続けて監視しろ」
 沈黙を続ける司令官に代わって、参謀が応じる。
「はっ」
「ディアン将軍――」
 応対しているのは、上帝府参謀のヤン・ドレイクハーブンである。フリーズ大河北岸の各部隊にオーギュストの意志を伝えて、かつ、監視する任務を与えられていた。
「敵の装備と規模から想定して、ロックハート軍は敗退したと思われます。救援を中止し、速やかな転進を」
「……」
 ディアンはまだ若い顔を石膏のように硬くしている。白い天幕の前、刈り取られた夏草の上、そして、晴天の下を、瞬きもせずただ凝視していた。
「将軍、御決断を」
 強く促されて、ようやく薄く唇を開いた。
「全軍……前進して、小川を越え、陣形を整えよ」
「ルートヴィヒ!」
 旧知の間柄である。思わず、ヤンは大きな声でファーストネームを呼んだ。
「ロックハート将軍は天下の知将である!」
 ヤンの声を打ち消すように、ディアンは、さらに大声で叫ぶ。
「易々と敗北するとは思えん。敵は戦力を分断したと思われる。これは勝機だ。各々方、思う存分、手柄を上げられよ」
 周囲の諸将に目を配り、威勢よく鼓舞する。
「どうした? ルートヴィヒ」
 ヤンが顔を近付け、耳元で囁く。声は小さいが、語感は鋭く、噛み付かんばかりである。
「このままでは――」
 それにディアンは、然も歯痒そうに呟いた。
「このままでは、如何ともし難いのだ!」
「しかし、索敵した部隊は、その構成からして前衛部隊だ。これから、ぞろぞろと増えるぞ。正面からぶつかっては……」
 思わず、最後の『敗北』と言う不吉な単語を飲み込む。声にしてしまうと、本当に実現してしまいそうで怖い。
「分かっている。だが、俺には、諸将に手柄を立てさせる義務がある」
「上帝陛下の軍隊にそんなも――」
「あるのだ!」
 ヤンの言葉を、歯軋りしながら遮る。
「俺の軍勢は、中小の諸領主の寄せ集めだ。俺への忠誠ではなく、武功のために、戦うために従っているに過ぎん」
 悔しさを滲ませて、まるで血を吐くような告白だった。
 父は、故ナルセス・フォン・ディアンであり、母は、サリス帝国の政治を担う『詩の朗読会』メンバーのエヴァであり、オーギュストの猶子であり、昨年バラム公オットー3世の末娘シュザンナと結婚(第68章参照)した。当代髄一の輝かしい血統であり、若くして北辺の大貴族となった。しかし、実績なき重用故に、大きな重圧に苦しんでいる。
「……しかし、上帝陛下の戦略は――」
「俺が戦いを避ければ、必ず離反する者が現れる。そうなれば、俺は……、取り立てて下さった上帝陛下に申し訳が立たん。……父の名に泥を塗ることになり、上帝陛下と母の期待を裏切ることになり、妻に笑われてしまう……」
「しかし、無駄な戦いをして、もし負ければ、それこそ上帝陛下の御叱りを受けることになろう」
「もう、『しかし』は止めてくれ。黙って協力してくれないか」
――これが貴族というものか……。
 ヤンは友の苦しい立場を思い知り、堪らず絶句する。

 小川を背にしたディアンの混成部隊は約3000。対して、鶴翼に布陣するアルティガルド軍は1万を越えようとしている。
「敵の集結が早い……」
「これは2正面作戦のために焦っている証拠だ!」
 参謀が否定的な発言をすると、透かさず司令官が肯定的な発言で打ち消す。
「おお」
 そして、従う諸将が勇ましく応じる。
「敵の狙いは、両翼を素早く展開させた包囲殲滅にあると見た。故に我らは小川を背にして、背後に回り込まれることを阻止し、さらに、手薄になった敵中央部を突破し、背面にて反転して、敵を挟み撃ちにする」
「承知した」
 さすがは名将の子よ、と諸将が満足げに頷く。
「突入部隊は小官が直に指揮する。この陣は、参謀のヤン殿に任せる。各々方、上帝陛下直臣の前で存分に武勇を示されよ」
「おおよ!」
「この時を待ちかねていたぞ!」
 猛火で炙り出したような激情を、ルートヴィヒ・フォン・ディアン将軍は一気に吐き出す。また、その声を待っていたように、武将たちも、朱泥をぬったように顔を紅潮させた。
――止める術はないのか……。
 ヤンは煮え湯を飲むような気分で、ただ黙って立ち尽くしている。

 風が吹かない。街道の石橋や石畳は、飴細工のように今にも溶け出しそうで、汗ばんだ肌に絡み付く空気は濁って臭い。時間さえも壊れてしまったように、暑く息苦しい刻が終わらない。
 火を見るよりも明らかなり――という言葉が頭を過る。
 ヤンの眼前では、予想取りの光景が展開されていた。
 左右に展開する敵部隊は数を偽装した囮であり、敵の中央部には幾重にも戦闘部隊が配置されている。
 敵が十二分に備えた、最も頑丈な場所に突進してく姿は、巨漢の力士に体当たりする子供のようであり、高波にひっくり返される小舟のようであった。
 向う見ずな勇者たちは、我先に突進して一番槍を競った。しかし、先祖、出身地、自分の名を誇るよりも早く、矢が襲い、槍が前後左右から伸びてくる。瞬く間に、身をもって『針鼠』を体現することとなる。
戦いは呆気ない。
 もっとも熱い分子を失ってしまうと、悲壮感を伴うヒロイックなオーラに包まれていたディアン将軍も、忽ち、昏倒せんばかりに怖気づいてしまった。
「ひ……ひ、ひっ、ひぃっ、引けぇ」
 釣り上げられた魚のように、眼と口をパチパチさせて吃り、どうしても上手く退却を命じることができない。
 しかし、どうにか命令を伝え、難関をクリアーするも、この場合、口にする苦労よりも、実行する方が遥かに難しい。
 敵前で反転して敗走を開始する。当然、背後から正面追撃されて、好き放題に矢を射かけられる。さらに、左右からも敵兵が迫り、散々に平行追撃を受ける。
「もはやこれまでか……」
 ディアン将軍が、氷のように冷え切った体から震える声で囁く。その時、前方の藪から矢が放たれた。
「2列目、斉射せよ!」
 ヤンの落ち着いた声が響く。
「伏兵だぞ、気を付けよ」
 追撃に熱中する余り、思わぬ伏撃に、アルティガルド兵が乱れた。
「伏兵は少数だ、並べならべ、蹴散らすぞ!」
 アルティガルドの先鋒部隊は、改めて隊列を整えていく。
「引け」
 しかし、ヤンの判断も早い。
 部隊を二つに分けている。前列は一斉射撃の後素早く後方へ下がる。その背中を守るために後列が射撃を行う。その間に、前列だったものは、後方で列を作り直して矢を番える。このように射撃と後退を繰り返し、ヤンは、殿軍をほぼ無傷で小川を越えさせた。
「追えおえ、逃がすな」
 遅延を強いられたアルティガルド軍が、ようやく小川を渡る。
「なんだ、あの無様な砦は」
 アルティガルド先鋒部隊の指揮官は笑う。
 小川の縁に簡易的な柵を巡らしただけの小規模な砦がある。その軍旗と槍の数に相当な数の兵が逃げ込んだと思われた。
「止むを得ん。速やかに踏み潰せ!」
 砦をそのままに敵の本隊を追えば、背後を攪乱されかねない。先程伏兵に遭ったことがより慎重にさせていた。
「突撃せよ!」
 数を揃え、包囲し、四方から一斉に攻撃する。反撃を与える隙もなく、圧倒した。そう思った瞬間、突入部隊から守備兵の姿がないと報告がくる。
「謀られた。続け!」
 歯軋りしながらも、手柄を逃すまいと慌てて追う。
「あれは……」
 しかし、今度は、街道の脇に、物資を山積みにした小荷駄が置き捨てられている。
「待てまて」
 下級兵士たちが、砂糖に群がる蟻のように殺到し、思うさま略奪する。指揮官の必死の制止も耳に入らない。
「おのれェ、小賢しい真似を!」
 もはや士気と統率の低下は明らかであった。
指揮官は、地団太を踏んで悔しがり、追撃を断念する。
「助かったのかぁ……」
 ディアン将軍は必死に駆けて、第三陣のパルディア王国軍に合流を果たす。その時、彼の周りには、30騎ほどしか残っていなかった。


【同月、ヴァンフリート州】
――シャーデンフロイデ
 この夏、フリート郊外の野原に、『シャーデンフロイデ』と言う名の新しい街が突如誕生した。
 元々は、敗戦後の不況対策に『サイア=アルティガルド連合共進会』が計画された。サイア系商人の発案と投資によるもので、サイアとアルティガルド南部の産物や製品を集めて展覧する予定であった。その会場地として開発が始まり、周辺に競馬場やマリーナなども併せて計画されて、一大リゾート地となる予定であった。
 そこへ、侵攻したサリス帝国軍が根拠地を置く。
 馬場の芝生の上には武器兵糧などの物資が蓄積され、厩舎には軍馬が、騎手用の宿舎には士官が入っている。さらに、木製の一般観客席は解体されて兵舎の長屋に、高い塔の特設観覧席は軍司令部と様変わりした。
 そして、周囲を一望する僅かにこんもりとした高台に建つ来賓用の貴賓館は、オーギュストの宿泊施設となっていた。

 導入路の坂の前に、みすぼらしい身なりの男が立つ。髪は乱れて泥が染み込み、藍染の衣装も、そこら中が擦り切れている。
 男はその眩さに思わず目を伏せた。
 美しい緑の芝生にはたっぷりと水がまかれて、壁一面に白い化粧タイルが貼られている。まるでプラチナのティアラのように輝き、夏の陽射しの中で、近寄りがたい威厳を放っている。
「許可がないと入れないぞ。何処の部隊の者だ?」
 黒い防腐剤をぬっただけの寄合長屋から、面倒そうに誰何する声がした。振り向くと、親衛隊員が暗い軒下からこちらを見ている。
「ヤンじゃないか!」
 隊長のナン・ディアンが、満面の笑みで影の中から出てくる。
「おいおい、その格好はどうした?」
 全ての色が白くかすむような夏の陽射しの中で、真っ黒に日焼けした顔を苦笑させて問う。
 それはこっちのセリフだと、ヤンは返したかった。
 ――まるで緊張感がない。
 顔は暑さに呆けている。また、首には濡れたタオルを巻き、軍服は釦を留めず肌蹴て、ズボンは膝上まで捲っている。さらに、バケツに足を突っ込んでいたのだろう、濡れた足跡が白い砂利の上に残っている。
「ボロボロじゃないか、あははは」
「ああ……」
 軽快に肩を叩かれて、ようやく我に返る。
「ヘビ避けになると刀根小次郎が言っていたから……」
「それで藍染の忍び装束か?」
「ああ……」
「とても誉れ高い天才軍師の姿じゃないなぁ」
 ナンは嫌味のない明るい声で笑う。
「軍師などと……無様な敗軍の将さ」
 消え入りたい気持ちがした。鎖で引きずられる囚人も、おそらくこんな想いなのだろう、と思う。
「そんな事はない――」
 うなだれて目を逸らすヤンに、ナンが盛大に首を振る。
「見事な退却戦だったと聞いているぞ」
「俺の手柄じゃない……」
「うむ?」
 巧みな相槌で話を促す。
「ルートヴィヒが……ディアン将軍が俺に精鋭を預けてくれた。だから、全員が俺の命令に忠実に従ってくれた……だから……誰も逃げることなく……最後まで……勇敢に……」
 次第に、眼の奥に熱いものが込み上げてきて、思わず言葉につまってしまう。
「ああ、よく兄貴(ルートヴィヒ)を助けてくれた。ありがとう――」
 突然ナンが手を取り、そして、堅く握りしめてくる。その掌の熱さに、深い感謝の意がこもっているようだった。
「ご苦労さん」
「ああ」
 過酷な戦場の中で友の優しさに触れて、ヤンは唇を噛んで何度も頷く。
「それより、これじゃ拝謁できないぜ」
 笑った目で困ったように言う。
「そうだな」
 ようやくヤンの頬が弛んだ。
「裏に井戸がある。石鹸とタワシもあるからしっかり泡立てて、ゴシゴシこすれよ」
「ああ」
 頷いて歩き出した後で、のんびりしている余裕はない、と思い始めた。一刻も早く、敗戦を詫び、かつ、北岸一帯の戦況報告を行いたい。折角お膳立てをしてくれたナンに悪いが、濡れたタオルで軽く拭くぐらいでいいだろう、と考える。
「青色はなかなかしつこいからな、ちゃんと洗い落せよ」
「え?」
 忍び装束の結び目を解くと、真っ青な胸と腹が現れた。
「何ぞ!?」
「パンツも青いから忘れず変えろよ」
「何じゃこりゃ!!」
 思わず叫んでいた。


「無様ではないか!」
 オーギュストは赤いパンツを穿きながら、険しく激怒する。
 その雷のような轟音は、浴室の薄い扉から解き放たれ、薄暗い寝室を震撼させると、半開きの観音開き扉をガタガタと打ち震わし、貴賓室の時計の振り子を狂わせた。
 シャワーの音が途絶える。蛇口をキツク閉める甲高い音が悲鳴のように、着実に近付いてくる足音が爆音のように聞こえた。
「お前たちの報告を要約すると――」
 光と暗闇の境界から声が轟くと、幕僚たちが一斉にひれ伏した。
 ロイド方面軍カザルスは、まんまんとシュナイダー軍を取り逃がし、かつ、追撃する余裕もなく軍の再編中。
 そのシュナイダーに、ソルトハーゲン方面軍ロックハートは敗退して、未完成の城に籠城中。さらに、その援軍も苦戦中。
 また、セレーネ半島方面軍ベルティーニは、
ルブラン湾のガブリ島(フリオとマックスが捕虜)を包囲したまま攻めあぐね、セレーネ半島の動揺を抑えることに奔走中。
 最後に、サリス方面とホークブルグ方面の戦線を連結させ、フリーズ大河南岸の一帯を完全に制圧するために、予備兵力のサイア王国軍を導入。だが、一つの城の攻略に手間取って停滞中。
「なぜ、この程度の小城が蹴散らせぬ?」
 大きな襟とフードの付いたグレージュのバスローブを羽織、腰の紐をぐっときつく締める。
「はっ、ブラオプフール城に対して、情理を尽くして投降勧告を行いましたが――」
 代表して、幕僚主席のルイーゼが畏まって答える。

……
………
『ブラオプフール城の方々に申し上げる――』
 城外のサイア軍から大声で呼びかけた。
『案ずるにそちら五百、こちらは一万、この絶望的な差をどうお考えか。ドラゴンやサーベルタイガーでもなければ、疾く城門を開かれよ。本領安堵、つつがなく領地に戻らるることを、サイア王国のローゼンヴェルト将軍がお請け致す』
 男のよく通る声が風に乗って広がる。もはや開城は時間の問題と思われた時、城内から清淑な美声が流れた。
『ローゼンヴェルト将軍の心配り、まことにありがたく存ずる――』
 尖塔に人影が浮かぶ。城外の将兵が凝視すると、白銀の甲冑をまとった黒髪の女性が、王家の紋章を施した権杖と盾を翳して、悠然と上半身を晒している。
『亡き主人を偲び、その墓を守っていくのが貞女の道と、一度は思い定めしが、武人の妻とは煩わしいもの。主人の愛した城と城下をこうも没義道に荒らされては是非もなし――』
 目じりが切れ上がり、冷酷ともいえる目付きだが、均整のとれた瓜実顔の中で、スッと高い鼻と薄い唇を組み合わせると、気品のある印象の良い顔立ちとなっている。
『静かに弔うことなどできようか。武張った亡き主人の素志を貫き、降車に向かう蟷螂の斧となりましょうぞ』
 窈窕たる未亡人は、冷たい無表情の口辺に微かな笑みを漂わせる。
『……』
 もはやサイア軍の将兵は声もない。
………
……

「それで徹底抗戦されているわけか?」
「御意……」
 ルイーゼが悄然と頷く。
「城内の士気は高く、『天命を尽くして、女神エリースの元へ逝くのであれば、それも上々よ。あの世でも亡きお館様に忠節を尽くすまでじゃ!』と兵士たちは口々に叫んでいるとか」
「片腹痛し!」
 オーギュストは憮然と懐手を組んだ。
「心を折るのが攻城戦の常套だというのに、敵兵の心に活を入れてどうする!」
 床板を蹴り鳴らして、窓際へ歩く。
「その未亡人に身内はいないのか?」
 居並ぶ部下に問う。
「近くの修道院に伯父がおります」
 その声は寝室の暗闇からした。一斉に視線が観音開きの扉に集まる。そこへ、膝丈の上着(ジュストコール)に、ベスト(ジレ)、膝丈のキュロット、そして、ジャボで首を飾った女性が現れる。伝統的な貴族衣装を見事に着こなした【ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ】である。
 濡れた、明るめの茶髪をだらりと腰まで垂らし、整った瓜実顔に、知的な印象のアンダーリムタイプのメガネをかけているが、鋭利過ぎる眼差しを隠し切れていない。
「ヴェロニカ」
「はい」
 オーギュストに名を呼ばれて、ヴェロニカは恭しく跪く。
「どうして分かる?」
「彼女は、わたくしと同じ地方騎士領の中小領主階級であり、寄宿学校の先輩後輩であり、遠い縁者であり、幼少より見知った者です」
「ほお」
 オーギュストは興味深くヴェロニカを見詰めた。
「ウラキ」
「はっ」
 しばらくして直臣の名を呼ぶ。
「行って、その伯父を捉えよ。そして、姪を説得させろ」
「御意」
 その間も、決してヴェロニカから視線を外さない。そのヴェロニカも、全く臆していない。瞬きもなしに、真っ直ぐ赤い瞳を見返している。


「よし行くぞ」
 新しい軍服に着替えて、小奇麗になったヤンが、気合いを入れて貴賓館に改めて向かった。
 玄関扉は、シンプルながらも精巧な彫刻が丁寧に施されて、重厚な趣に溢れている。
 玄関を入ると、正面奥に赤い絨毯が敷かれた木製の階段が左右対称に二つあり、踊り場で合流して2階に昇っている。その階段の狭間、踊り場の下に、裏庭へ続く裏口があった。
 階段室から左右に廊下が伸び、右に秘書官のいる事務室と親衛隊のいる控室があり、左に食堂と配膳室があった。
「参謀本部の少佐のヤンだ」
 事務室の受付窓口で名を告げ、手続きを待っている間に、何気なく食堂を覗く。すぐに百貨店の一階と同じ香りを感じた。
 床は鏡のようにピカピカに磨かれている。また、壁は白漆喰塗りに腰板張りで、天井は格縁で幾何学模様をつくり、窓枠には滞酒なレリーフが意匠されている。
 そこに、白い水兵服を着た少女が三列に並んで座っている。
「あれは……」
 一列目は、稀に見る美少女と評判のサリス人親衛隊5人(73章参照)である。二列目は、アルティガルド人が4人(74章参照)、そして、三列目に見知らぬ少女が3人。
 壇上に、警備部長のライラ・シデリウスがいた。赤毛の前髪を白いヘアバンドで留めて広い額を出し、大きな眼鏡をかけている。長身で、臙脂革のワンピースの上からでも、その躍動的な肉体を感じ取れた。

「我々はエリートである――」
 ライラがきっぱりと断言する。
「上帝陛下には、稀代の大英雄であられ、一騎当千の武神、神算鬼謀の大軍師、深慮遠謀の覇者、不公正を憎み正義を愛する不世出の名君であられる」
 黒板の文字を指しながら、有らん限りの美辞麗句を散りばめて解説する。
「しかしながら、比類なき覇気と不屈の義務感を、不佞たる輩は、時に横暴とも独善とも評する。何たる卑陋、麁陋、賤劣。天の存在を知りもしない虫けらの如し」
 涙を流さんばかりに嘆く。
「このように低俗な人々に呆れ果てられ、治世への興味を失われてしまわぬよう、その荒ぶる魂の暴走を止めることこそ我々の使命」
 ぐっと眼鏡を持ち上げて、少女たちに迫る。
「故に、我々こそが、真に、この世界を守る唯一無二の機関である」
「はい」
 少女たちは、誇り高く返事する。それにライラは満足げに頷いた。
「よろしい。では、次のページを」
 一斉に教科書を捲る音がする。
「まず禁止事項をあげる。行為前、不必要に甘えてはいけない。行為中、決しておねだりをしてはいけない。行為後、執拗に添い寝をし続けてはいけない。速やかに退室すべし」
 長い指を優雅に折る。
「次に夜伽について説明する。一般的に三つの役割がある」
 黒板の『正』『副』『予備』の三つの文字を書く。
「基本的に『正』が情けを受けるが、動けない場合には『副』が口で掃除を行う。また、不測の事態には『予備』が速やかに駆け付けること」
「はい」
 少女たちは熱心にメモを取る。

「これは……」
 もう二度と後退などしないと自らに誓ったヤンだったが、半ば呆然として、無意識に一歩後ずさりしていた。
「あれ? ヤン君、来てたんだーぁ」
 そこへ、呑気な明るい声が玄関ホールに木霊して、ヤンは我に返った。
 階段と階段の間の裏口から、ランが入ってくる。
 麦わら帽子に、シンプルなエメラルドグリーンのフリル付きビキニに、足首まである白いレースパレオを腰に巻いている。そして、右手に大きめのピクニックバスケットをぶら下げ、左手にはトリュフのたっぷり入ったクレープを掴んでいる。
「何、武勇伝を自慢しに来たの?」
 少年のような悪戯娘の笑顔で言うと、クレープを大きな口で頬張った。
「聞いてるぜ。見事な殿軍だったって。上層部でも評判だぜ」
 口元にシュガーバターをたっぷりつけた状態で、親指をぐっと立てる。
「そいつは有難いね」
 ヤンは微かにはにかみ、小さく頷いた。
「ヒューヒュー、またご出世ですか。仕事熱熱心だねぇ、女房子供を泣かせんなよ」
 舌で唇を舐め回して、蝶のように軽い口調で言う。そして、ヤンの視線の後を追跡して、食堂の中を見遣る。
「何、好みの子いた?」
「そんなんじゃない」
 慌てて手を振り、否定する。
「ふーん」
 ランは低い波長で一度鼻を鳴らす。それから一呼吸考えて、すーぅと鼻をすすり力強く踏み出す。
「お、おい……」
 ヤンの傍らをすり抜けて、ずかずかとその食堂に入っていく。
「こんにちは。ご精が出ますね。これ少佐からよかったらどうぞ」
 ドアの開く大きな音で全員が注目する中、手短に挨拶を済ませて、お菓子の入った箱を教壇の上に置く。そして、何事もなかったように出てくる。
「……ぅ」
 ライラが激怒すると思ったが、ほぼ無視して、黒板に向かっている。一方、選りすぐりの美少女たちは、窓越しに不審な眼差しを注いでくる。またヤンは一歩怯む。
「……おい」
 呆気にとられているヤンを尻目に、ランは、今度は反対の受付窓に向かい、そこでも、お菓子の差し入れを行った。
「はい、どうぞ」
「あ、あ、ありがとう」
 それから、振り向いて、認証札を一枚手渡して微笑む。
「行こうか」
「ああ」
 ランの予想外の行動に、戸惑いを隠しきれない。
 館の中央の暗い階段を上ると、こぢんまりとした広間があり、玄関ポーチ上のバルコニーから光が差し込んで比較的明るい。
「交代まだなの。はい、あげる」
 窓の脇に箱型の詰所があり、親衛隊が立哨している。ランは、彼女にもマカロンを一つ手渡す。
 一階同様左右に廊下が伸びている。
 右側の廊下は、暗く人気はない。『上帝軍幕僚本部幹部』の個室になっている。
 左側の廊下の先に無骨な厚い石壁の鐘塔があり、その手前に貴賓室、寝室、化粧室と並び、廊下を挟んだ向かいに遊戯室がある。
「あれ、秘書官がいない」
 貴賓室前に置かれた机は無人である。ランは訝しそうに遊戯室を見た。調度、その遊戯室から人が出てくる。
 緩やかにウェーブしたロングヘアーを華やかにハーフアップしたアンである。彼女も水着姿で、カラフルなボタニカル柄のフリルがふわふわ揺れるバンドゥビキニの上に、ピンクのパーカーを羽織っている。
「何かあった?」
「転向者が身内を売ったのよ」
 アンは口元を押さえて、大きな瞳を左右に動かしながら不謹慎に微笑む。今にも小躍りしそうな雰囲気だった。
「へーえ、意外とタフなんだ」
 ランは左人差し指を頬に当てて、右上へ瞳を動かす。そして、小刻みに何度も頷きながら独り感想をもらす。
「そう。さっきからアルティガルド人が騒いでいるわ」
 アンは、軽く小馬鹿にしたような口調で、然も楽しそうに囁く。そして、ちらりと背後の遊戯室へ視線を誘導する。ランとヤンは誘われるままに、遊戯室内のビリヤード台を見遣る。と、ルイーゼとマルティナ、それにベアトリックスの副官が、顔を近付けて深刻な表情で話し合っていた。
「あの彼女たちが、目を合わせて会話するなんて。あらあら一大事だ」
 ランはあからさまに茶化す。
――なんなんだ、この二人は……。
 女子二人の会話に、ヤンはついて行けない。
――こんな面もあったんだ……。
 幼馴染でもあり、よく知る二人の新たな一面を見てしまい面食らってしまう。ただ、口を挟まずにじっと見守った。
「何せ、大逆者ロマンの片腕だった女が参戦表明だもの。勝手に描いていたアルティガルド分割案も修正が必要になるかも」
「まさに海も見えぬに船用意、ね」
「今頃――」
 アンは無人の席を冷やかに見遣る。
「あの【詩の朗読会】に飼いならされた秘書官たちは、セリアに伝令を送るために駆け回っているわ」
「忠犬だ」
「あんたの弟子も、とんでもないタマを拾ってきたものね」
「昔から、面白さに対する嗅覚が半端ない奴だから」
「あら、ヤン少佐」
 ようやくアンはヤンに気付く。
「また昇進? さすがね。今度コツを教えて。じゃ」
 軽い口調で挨拶をすませると、ウィンクを残して去っていく。
「はっ、畏れ入ります。顧問殿」
 ヤンは敬礼する。彼女とは旧知であり、随分親しく接していたが今は身分が違う。
『女は出世するねぇ』(70章参照)
 かつてナンが言った言葉が甦る。
 艶やかな水城姿に身を包んだ美女は、今では、決して手の届かない遥か高嶺に咲く花なのだ。
 そして、不覚にも、ランに従ってのこのこ2階に昇ってきたが、ここは自分がおいそれと踏み込んで良い場所ではないことにようやく気付く。
「……」
 無言でアンの背中を見送る。その間に、ランは勝手に秘書席の後ろに回り込んでいる。
 トントン!
 左手で重厚なドアをノックして、返事を待たずに、右手で黄金のドアノブを回した。
「おい」
 ランの大胆な行動に、一瞬呼吸が止まり、思わず石膏のように体が固まったが、今度ばかりは本気で止めにかかる。
「あれ、開かない」
 運が良いことに鍵がかかっていた。
「はぁ、……っておいおい!?」
 思わず安堵のため息をつくが、それでも、ランはノックとドアノブ回しを止めようとしていない。
「おっかしいなぁ」
「おかしくない!」
「ちょ、ちょっ、何すんのよ?」
 呑気な声で首を捻るランを、遂にヤンは引っ張ってドアの前から剥がす。
 その時、ドアが内側から開く。そして、オリーブ色の貴族衣装をまとった美女が出てくる。
「……」
 思わぬ展開に、ヤンとランは無言で立ち尽くす。
「お呼びですよ」
「そう」
 髪を直しながら、ヴェロニカがランを見る。否、見るという表現では語弊がある。明らかに、敵意丸出しに睨んだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
 ヴェロニカは、エレガントな口調で囁くと、ドアの前を一歩譲る。そして、まるで吊られているように背筋をぴーんと伸び、足の裏に一枚紙を挟んでいるように浮遊感のある歩き方で去って行く。
――あれが女傑……さすが立居振舞いが颯爽としている……。
 その後姿にヤンはしばらく見惚れていたが、ランのさらに元気な声で現実に引き戻された。
「お疲れさまでーぇす」
 ランは堂々と貴賓室に入室する。そんなランと入れ違いに、一匹の黒猫が飛び出てきて、ヤンの足元をぐるぐると回り、その後、然も興味なさげに首を後足で掻き始めた。
 貴賓室は大理石の床に華やかな絨毯が敷かれている。壁には、豪華絢爛な金唐革紙が貼られ、金箔や銀箔が美しい光沢を放っている。また、天井中央部には、薄雲の掛かった青空に天使が舞っていた。一見して一階よりも豪華で、世界の覇者にふさわしい煌びやかな内装となっている。
 ソファーにバスローブ姿のオーギュストが坐り、オットマンに脚を投げ出している。その隙だらけの姿勢が、逆にそら恐ろしい。
――呼吸が引き込まれる……。
 多少剣を学んだから気付けるが、対峙した瞬間に、息の吐き方から心臓の鼓動のタイミングまですべてが同調されている。こちらがどう動こうが、一瞬早く反応されてしまう……そんな予感に恐懼する。
「おお、ヤンか」
「ヤン少佐、参上致しました」
 オーギュストが寛いだ声で話しかけてくると、ヤンは慌ただしく跪く。
「小官こと、上帝陛下より大命を仰せつかりながら任務を果たすこと叶わず、陛下の兵を多く失い、敵をして勝ち誇らせました。この罪、万死値しますが、事の次第をご報告せねばと愚考し、おめおめと帰還いたしました。敗戦の罪はすべて参謀たる小官にあります。どうか他の者には寛大なるご処置を賜りたく願い申し上げます」
「ああ、謝罪には及ばぬ」
 オーギュストは、軽く手を振る。
「そうよ」
 予期せず、隣にいたランが口をはさむ。
 臣下としてあり得ない行為だ。さらに、無礼千万にも、頭を垂れず、許しもなく、勝手にオーギュストに近付いていく。
「ヤン君のおかげでルートヴィヒ君の命は救われたって言ってたじゃない」
 然も馴れ馴れしく告げるランに、オーギュストは怒ることもなく、黙ってオットマンから足を下ろす。そして、その空いた席にランは腰掛けた。
 ランは麦わら帽子を取っている。アッシュベージュに染められた髪は7:3に分けられて、ボリュームのある方の前髪をななめに流し、タイトな方はかき上げて耳を出して、貝殻の髪留めでまとめている。
「……」
 ヤンは霹靂に打たれたように息をのんだ。膝がガタガタと揺れて止めることができない。刹那、ぐっと血潮が頭へ登り、顔中が燃えるように熱くなる。余りに熱過ぎて逆に背筋を寒く感じた。一気に汗が噴き出して、肌がちりちりと痛い。
――何も分からない……否、何もかもがはっきりと分かった!
 任務中の洒落た水着、高級菓子の大盤振る舞い、ライラの態度、アンとの会話、後宮女性への嫌味、オーギュストへの擦り寄りなどなど、全ての違和感が氷解していく。
「何より――」
 逆光の中で、オーギュストが喋っている。
――会話とは、こんなにも難しかっただろうか……。
 しかし、口の動きは見えるが、一つ一つの音が言葉として繋がらない。まるで外国語のようで、何を言っているのかさっぱり理解できない。
 それでも、一向に危機感はない。
 心がシャットダウンしたように何も寄せ付けず、脳の9割が無機質な鉛にでもなったように機能しない。
「ナルセスの息子を逃がしたのは正解だった。何も占領地などに拘る必要はない。逆に戦線が拡大して、奴らも困っていることだろう」
「良かったね、ヤン君」
「……」
 ランが素敵な笑顔で振りむいた。見たこともないほど輝き、綺麗で、魅力的で、そして何より婀娜っぽい表情だった。
「少し休め。渡河作戦はこれからが本腰だ」
「……はぁ」
「数か所の渡河ポイントにちょっかいを出しているが、どうしてどうして、敵の指揮官の反応が良く、部下も的確に動いて優秀だ。うちなら、5人もいれば一人はドジが混じっていて、そこから綻びができそうだが。あははは」
「はい……」
 オーギュストは饒舌に近況を語った。しかし、ヤンは曖昧な相槌を返すだけで、アルティガルドのシュナイダー将軍の能力やその策略について進言の一つもできなかった。


「ではゆっくり休め」
「御意……」
 そして、話が途切れ、ヤンは言葉もなく退室する。
「あー、ホッとした。ヤン君、深刻そうだったから」
 棒読みで告げる。言葉とは裏腹に、心はもう別の事に囚われている。ランは一気にアイスコーヒーを飲み干した。
「お前は酷い女だな」
「何が?」
 心底驚いた顔を向ける。
「否、何、この水着は少年たちには目の毒だと思ったのさ」
「ただのビキニじゃん。今時の女の子は、みんなこの位着るの」
「女の格が上がったと言う事さ」
 オーギュストは、ソファーに凭れて脚を組む。
「なにそれ? 全然わかんない」
「今は分からんでも、9週間半もすれば分かるさ」
「さっぱり理解できない――ヤァ!」
 ランは膨れ面で、右足を延ばしてオーギュストの脛を蹴る。
「隙アリ」
 もう一回蹴ろうとするが、今度はオーギュストに簡単に掴まれてしまった。そして、その細く美しい脚を、膝の上にのせられて、指先から踝、脹脛、膝と、ゆっくりと撫でられていく。
「感心だ。綺麗に手入れもしているな」
 オーギュストの手は、無駄な脂肪がなく、よく引き締まり、つるつるに磨かれた美脚を存分に堪能する。
「やめろぉ」
 オットマンの端に背中を預けて、今度は左足でオーギュストの肩を衝くように蹴る。
「行儀の悪い娘だ。お仕置きだ」
 それも簡単に掴まれる。
「きゃあ――嫌だ、いやだいやだいやだ……」
 オーギュストは両足首を掴んで持ち上げ、腰をひっくり返して、股間を仰向けにした。
「毛の処理も完璧だな」
 エメラルドグリーンのパンツの下に、はにかむランの顔がある。そこに話しかけながら、パンツの縁を指先でなぞっていく。
「ヘンタイ」
「そう。変態どもが常に視姦しているぞ。油断するなよ」
 軽く笑いながら、小さな尻と細い太腿も撫でていく。
「いいのかよ……」
 ランは、火を噴くように顔を真っ赤にしている。
「うん?」
「あたしの裸が他の男どもに見られても、いいのかよ?」
「いい訳ないだろう!」
 刹那、オーギュストの表情が一変する。野獣のように厳しい顔でランを見下ろしながら、獣のような声で言い放つ。
「……」
 蛇に睨まれた蛙のように、すっかり竦んでしまった。
オーギュストは、その顎の先を掴むと、じっくりと怯える瞳の奥を覗き込む。紅い光が、網膜に焼き付くようだった。
「ランちゃんは、俺の女だ」
 一転して、緩やかに笑みを浮かべて囁く。
「うん」
 恐怖からの反動で、ランは瞳を潤ませて頷く。その揺れる瞳を見据えながら、オーギュストは女陰の上のパンツを噛む。
「ああン」
 その荒々しさに、ランが甘く喘ぐ。
 オーギュストは、パンツを縁にめくり、端に寄せる。ふぁっと淫臭が溢れ出す。美しい百合の花が、雷雨の後のように濡れ光っていた。その色素の薄い花弁は、繊毛もなく縮れもなく、僅かに開きかけた隙間から鮮やかなピンク色の果肉を覗かせている。
「ひきゃっ……あああん」
 舌先を二枚の花びらの間に割れ入れて、泉のように湧き出た蜜を舐め取る。
 舌の触れる感触に、一瞬身体は弾かれたように硬直させ、口から短い悲鳴をもらす。直後、蕩けるように弛緩させて、唇からは甘い吐息を吐き出し始めた。
「あっ、っあっ、いい……」
 勝手に腰が浮かんでしまい、軽い絶頂へと誘われていく。
「ランちゃんはいやらしいね」
「そ、そんな…こと……ない……イイっ! そこイイッ!!」
 拗ねたように否定しようとしたが、オーギュストがアナルを弄り出すと、忽ち、秘密の穴が、法螺貝のようにぽっかりとひらいて底深い神秘の暗がりから蜜を吹き上げる。
「あーっ、も、もっと、あっ、あっ、あーーん、いいッ!」
 ずるずると音をたてて甘酸っぱい蜜を啜る。その音に合わせるように、ランは喘ぎ声をリズミカルに奏でる。
「いいぃ……いっ、いくぅ、イクぅぅぅうん!」
 オーギュストの顔を太腿で強く締めて、しなやかな背中を仰け反らして、首で身体を支えながら顎を突き上げて絶頂を告げる。
「ああ、あ……はぁ、はぁ、ぁぁ……」
 ブリッジが落ちて、釣られた鮎のようにぴくぴくと痙攣させると、淫靡に荒い息を吐き続けた。
「かわいいよ」
 オーギュストは身を屈めて、濡れた唇で、ランの額の汗を舐める。
「キスはイヤ」
「へ?」
「さっきまで……」
「うん?」
「あの女としてたでしょ……」
「ああ、世界一服を着るのが速い女のことか?」
 オーギュストはやや上体を起こして、笑いながら、細い脚を小脇に抱える。
「そうなんだ」
 好奇心に顔が輝く。すっかり先程までの抵抗の演技を忘れてしまっている。
「いいじゃないか、お前には――」
 言いながら、腰から尻にかけて、吸いつくように撫でる。
「世界一の、この括れと締まった小さな尻がある」
「あたしは下半身しか必要ないの?」
 目を厳しく顰めて、口を盛大に尖らせる。
「おっぱいも控え目でかわいいさ」
「もう……あ、あーん」
 左右の乳ぶさを絞るように揉まれると、密着させた腰をくねくねと悶えさせる。
「だめよ、これ以上は……。すぐに次の謁見希望者来るわよ……う……うぐ」
「尻を振りながらいうな」
 熱い吐息をもらす唇を塞がれると、すぐに、舌と舌の絡まる濡れた音が響き始めた。
 くちゅくちゅ、ぴちゅぴちゃ。
 淫猥な水音に混じって、ランの鼻からもれた呻き声が響く。
「ううぐぅ、んんん……」
 いつまでも、ふしだらな接吻に耽る。
 が、突然、この悦楽の時間を、無粋なノックの音が中断させる。
「ほら」
 オーギュストが尻を叩く。
「もーぉ……」
 不服そうに、ランは唇を離す。
「自室でオナニーしてろ」
「そんなことしないもん。したこともないもん」
「分かった……寝室で待ってろ」
「うん、お尻を洗ってくるね」
 根負けして、寝室への入室を許す。と、ランは顔の横で指を鳴らして喜び、小躍りするように歩き出す。


 夕暮れ時、さっと雨が降った。憤怒をもたらす暑さは幾分去り、大河から涼しい風が舞い込んでくる。
 プールサイドでは、幾つも焚火が炊かれて、酒宴が催されている。また、ライトアップされた水の中を泳ぐ女たちは、まるで眼帯のような際どい水着を着ていた。
「おい、あの巨乳を見ろよ」
「ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタじゃないか」
「叛乱軍の女傑だった?」
「ああ、ロマン・ベルント・フォン・プラッツの片腕だった」
「いやいや、ロマンは思想家で、理論や実務は彼女が担っていたらしいぜ」
「昔演説を聞いたことがある。頭の回転が速くて、とにかく口が達者だった」
「元々は大手ゼネコンのエリートで、部下や下請けに無茶苦茶厳しかったらしいぞ」
「そんな『出来るキャリアウーマン』が、何だ、あの水着は?」
「まったく裸同然だな」
「上から89、57、86だな」
「変われば変わるものだ」
「女とは強かなのさ」
「いやいや、あのロマンも今ではアルテブルグの下町で、港湾労働者相手に男妾をしているそうだぞ」
「まだ生きているのか?」
 プールサイドのカフェバーで、情報部の男たちが、ビール片手に泳ぐ女のことを話している。
「……」
 丸テーブルに一人座るヤンは耳を塞ぎたい気分を我慢しつつ、ビールを一口に含む。すぐに喉の奥がピリピリと痺れ、口全体に麦の苦さが広がる。渋い表情で泡の付いた口元を袖で拭こうとして、慌てて止める。
 ヤンは、着なれた軍服から、敢えてモスグリーンの貴族服に着替えていた。
――それにしても……。
 テーブルにレターセットを広げて、ペン先を咥えながら、一人想う。
 自分のすぐそばに、こんなにもセックスが迫っていたとは思わなかった。武勲や爵禄のことばかり考えているうちに、自分だけが取り残されていたと気付く。
「拝啓……アンナ様」
 便箋にペンを走らせた。許嫁であるアンナ・デ・ナバール(72章参照)宛ての手紙である。
 昼間の謁見以来、どうしてか、この戦役以前のランの姿を何一つ思い出すことができない。少年少女の頃から、剣士として軍人として、いろいろな苦楽を共にしてきたはずなのだが、平坦な感情しか心に残っていない。
――ああいう女だった……。
 初めから向こう側の女だったのだろう、と思う。
 高級だが露出の多い服装でちゃらちゃらと媚を売り、豪華絢爛な密室の中で女同士の権力争いに一喜一憂している。その生き馬の目を抜くようなバイタリティーには敬意を払うが、人の生き方として理想像とは言い難い。
 それに比べて、バナール男爵家の令嬢アンナは楚々として慎み深い……、無骨な自分に相応しい女性……、僅かな面識しかないがそんな印象がある。特に根拠はないが、考えるほどに堅固な確信となってくる。
 何せ、名門ナバール家の末裔であり、あのリューフの養女であり、オーギュストの推薦である。常識的に考えて、疑う理由は一つも見つからない。
「この戦争の後、私たち二人でナバール家を復興いたしましょう。その際は……」
一つ、関所で税を徴収しない。
一つ、農民に正規の年貢以外の不法な税を徴収しない。
一つ、裁判は念入りに調査して判決を下す。
 一つ、旧臣や縁者を積極的に雇用する。その際、以前の上司に連絡してから採用する。
 一つ、領地を一人占めせず、家臣に分配し、決して欲張らない。
 一つ、忠誠を尽くす者を取り立てる。
 一つ、旧来の住民たちは丁寧に扱いながらも警戒を怠らない。
 一つ、諸城は堅固に修復する。
 一つ、武器・兵糧などは充分に備蓄する。
 一つ、インフラ整備に取り組む。
 一つ、境界争いは慎重に行う。
 以上、11ヶ条の訓令を書き示した。


 暗い部屋の窓ガラスに手が這う。
「あっ……、駄目……こんな所…見えちゃう……」
 ランが必死に呻く。
 遥彼方まで満天の星空が広がる。遠く、月明りに照らされて大河を渡る船が見える。そして、地上にはたくさんの篝火が焚かれて、人の歩く姿も十分に確認できた。
「んあっ! ンっ! んあっ! あっ!」
 白い乳肌に青い筋が浮かんだ乳ぶさを、がっちりと鷲掴みにされて、激しく腰を打ち付けられている。
「無理よ……ゆっ…して……あっ、ああん」
 もし何気なく衛兵が振り返り、そして、見上げれば、……見えてしまうだろう。否、もうどこかで誰からが、こちらを見ているかもしれない。
「おお、締まる――」
 オーギュストが嬉々とした声を上げた。
「やっぱりランちゃんはヘンタイだな」
「ちぃ、ちっ、ちがうもん……うあっ!」
「何が違う?」
 地を這うような冷たい声で質される。
「もう何度もっ…絶頂しちゃってるから……もうっ…イクぅのが止まらなくなっ…っちゃったから…んあっ…あんんんっ!」
 指先に力を入り、爪が窓ガラスにキリキリと悲鳴を上げさせる。同時に、白い歯の間から吹き出す喘ぎ声が、今にも窓ガラスを壊れんばかりに震わす。
「この窓が割れれば、男たちがすぐに駆け付けるだろうよ。どうする? ヴェロニカみたいに露出サービスするのか?」
「いやっ……」
「あの女は、俺の命令なら何でもするぞ」
 項をべろりとオーギュストが舐める。
「オナニーするか、ションベンもらすか?」
「いっ…いやぁああん!!」
 ランは蓬髪の頭を振り乱して、汗に蒸れた裸体を悶えさせる。
――あれは?
 中庭の隅に親衛隊隊員を見付ける。任務が終わった後に、一心不乱に剣の素振りを行っている。
――ああ、昔のあたしがいる……。
 見知った顔、見慣れた制服、繰り返される日課、外の風景は紛うことなき現実だった。しかし、現実過ぎて、逆に現実感がない。
 なぜ自分は、裸で前屈みとなり、顔を窓に押し付け、脚を突っ張って、尻を頭よりも高く位置まで持ち上げて、まるで尻を捧げるように性交しているのか……記憶があやふやになっている。
――彼は少年のままの眼差しだった……。
 ふいに懐かしい顔が浮かんだ。二人で稽古していた頃が、はるか昔のように思えた。地続きの想い出はなく、時間に大きな断裂があり、決して戻ることはできない……。
「気持ちいいんだろ?」
 耳元でささやかれて、火照った頬を、ねっとりと舐め上げられる。
 この声の主によって肉欲を教えられなければ、今もあそこで、あの子と剣を振っていたのだろうか……。
 頭の片隅で淡い感情が、泥濘の泡のように一瞬浮かんですぐに消え去った。
 そして、胸の奥、肋骨の裏側、心臓の中心にある何かが妖しく蠢く。
――違う!
 蕾が花になるように、須らく少女は女に成長するもの。誰もが経て至る道。これこそが、大人の女性の悦びなのだ。
 自分の身体にこんなにも広がる穴があることを、その穴の中がこんなにも濡れ溢れることを、そして、その穴を熱く堅く太い肉の塊で埋め尽くされることが、こんなにも至福であることも知らなかった。何も知らない小娘とは、もはや違う。成長したこの肉体では、この湧き上がる肉のざわめきを止める術はない。
 次第に、手が痺れて、歯がガタガタと鳴り、膝がゆらゆらとグラつく。
「ううーんッ、気持ちイイぃですぅ!」
 瞳を淫蕩に潤ませて、甘ったるい鼻声で破廉恥に叫び上げる。
「おまんこ……イイッ!!」
 叫べば叫ぶほどに、全身に怪しげな興奮が高まっていく。
――もっと叫ぼう…叫ばなくちゃ……。なぜなら、あたしはもうこちら側の人間なのだから……。
 パン、パン、パンという肉のぶつかり合う音より、ぬちゃ、ぺちゃ、くちゃ、という濡れた水音の方が遥かに大きくなった。
「ああ……ご主人様、ランを捨てないで……もっと…もっと……かわいがってくださいぃいい……」
 無意識に譫言のように囁くと、天から声がした。
「いいだろう」
 入り口付近で、稲妻のように高速で激しく擦る。
「うぐぐぐぅんーん……」
 膝が笑う。内股に捩じれる。腰を屈める。背中が曲がる。首が折れる。奥歯を噛み締める。まるでエビのように丸くなる。
「ハッ!? ……っぐッ!」
 次の瞬間、一気に奥まで衝き抜かれる。ビクリッと頭が跳ねて、弓のように仰け反り、脚がガリ股になった。
「ひぃ、ひーぃん……」
 膣奥を叩かれた後、傘の張った肉棒をゆっくりと引かれる。膣肉を鉋で削るような感覚に、爪を立て、背中を波打たせ、喉を絞って絹を裂くような悲鳴を上げる。
「あああん、うぐぐうううん、ほぅッ、ふうーーん!!」
 再度、入り口をかき回された後、突き入れられる。
「はっ、うーん!!」
 まるで空気銃の如く、口から押し出されるように喘ぎ声が吹き出る。
「こっちを見ろ」
 オーギュストは不意に顎を掴んで、その涎の垂れた顔を後ろに振り向かせる。
「いい貌だ」
 好色に笑う。
 びちゅ、ちっちゅーん!
 そして、だらしなく開いた唇を食い千切らんばかりに奪う。
「ちゃんとオナニーしてる?」
「……」
「ほら」
「あんン」
 一度腰を振られて催促されると、ランは素直に悶える。
「ま、毎朝、しているよぉ」
「何をおかずに?」
「ギュス様を」
「何処でイクんだ?」
「お、ぉ尻の穴に指を入れると、イッちゃう」
「いい子だ」
 ぐちゅぐちゅちゅ……。
 オーギュストはもう一度噛み付くようにキスをして、べっとりと舌を絡める。
「さて、ここからが本番だぞ」
 突然、膝の裏側に手を差し込まれて、ランは軽々と持ち上げられる。
「ひゃっ」
 不意の浮遊感に絶頂時の感覚を思い出す。もはや思考のすべてがセックスに結びつくようになった。
「おらおらおら!」
 抱き上げたまま、下から激しく尻を突き上げる。脚は大きく開かれ、股は無防備にさらされている。
「イイイイイイっ……クううううううっ!」
 上体を仰け反らせる。衝かれるたびに、際限なく膨らみ続ける快楽がついに破裂を迎える。
「…ぃ…あッ、ひぁッ、あぁ…ッ…ぁ、あ、あ……ッ~ッ…あぁぁあぁ~~~~~ッッ!!!!」
 もはや言葉さえ紡げず、只々喘ぎまくる。
「はぁ…んぁ…ふっ…ぅ……」
 オーギュストは、糸の切れた人形のように脱力したランをベッドに放り出した。
「ラン、気持ち良さそう……」
 赤い短髪の女が人差し指を咥えて、まるでお預けを命じられた小犬のような顔をしてランの顔を覗き込む。
「ルイーゼ、お前の番だ」
「はい、ギュス様」
 娼婦のように笑った。戦術担当の幕僚として、全サリス軍を指揮する女である。常に戦闘的な顔立ちして、切れ味鋭い口上で、屈強な男たちを小間使い同然に扱う。そんな女が、丸裸で、舌足らずにまるで飼い犬のように媚び諂っている。
「お掃除致しますわ」
 そして、大きく紅唇を広げて、すっぽりと男根を根元まで咥え込む。淫臭が鼻を突き、眉間を険しく寄せた。それでも頬を窄めて、顔をゆすりだす。ムフン、ウフン、と鼻を鳴らした。
「むぅ……うがぅ、うむ」
 咽びながら、徐々に深くまで呑み込む。ついには脊髄まで突き抜けたと思えるほど深く咥え込んだ。
 そこから、ゆっくりと吐き出す。唾液の糸が橋のように伸びて、ルイーゼは涙目をして嗚咽する。
「ああん、苦しいのぉ、きもちいいぃ」
 赤く染まった貌を恍惚に輝かせる。
「お前だけ盛り上がってどうする」
「申し訳ございません」
「勝手な女だ」
 オーギュストは、ルイーゼを突き倒す。そして、その尻を2度3度と叩く。
「ひぃっ、ひぃーい、いあぁやんん」
 勝気な顔を歪ませて、裸体を打ち振るわせて、声を絞り出して泣きじゃくる。
「アリーセ、慰めてやれ…」
「畏まりました」
 裸体をきつく縛られて隅に控えていた【アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク】が這ってきて、ルイーゼの脚の間に顔を潜り込ませる。
 女の秘所は、バラを思わせるように肉襞が縮れて伸びている。それをルイーゼは自ら指先で開いた。
「さあ、お舐め」
 剥き出しになった媚肉に、黒ずんだ襞とは対照的に、鮮やかなピンク色をしていた。
 アリーセは舌を伸ばす。と同時に、自分の股間にも手を忍び込ませた。
「うぐぐぐぐん」
 アルティガルド王家の連枝たる子爵令嬢にクンニさせて、かつてのアルティガルド軍士官は感極まる。堪らず、ルイーゼは、シーツに千切れんばかりに握り締め、その皺の中に顔を埋めて、猛り狂う駿馬の嘶きのような嗚咽をもらした。
「ああん、上手よぉ。イッちゃうぅぅぅ!」
 舌をドリルのように使われて膣穴へ浸潤されると、全身に真珠のような汗を吹き上がらせて、淫猥な言葉を糸の引くように口走りつづける。
「……」
 ぐったりとして横たわるランが、乱れた髪の下からオーギュストを射すように見詰める。
 焼くような嫉妬の念が胸に焦げ付き、言い知れぬ寂寥感が心を逆撫でする。
「もっとかわいがって欲しければ、俺を楽しませろ」
 その視線に気付き、オーギュストはランの隣に寝る。そして、腰の上に跨るように促した。
「はい」
 素直に頷くと、瞬間、全身がゾワゾワと戦慄く。まるで信号が身体を打って、スイッチを入れたようだった。
「あ、うん、あん」
 肉棒を手で握り、その先端を膣口に宛がい、小刻みに腰を前後に動かす。濡れた秘肉の甘美な柔らかさで擦り、まるでスポンジのようにして愛液を塗り付ける。
「うっ……くぅん」
 ぐっと腰を下ろして、臍の上で反り返った極太の曲刀を飲み込む。と、膣口が限界まで広げられ、臍側の膣肉がざくりと抉られていく。眉を寄せ、唇を噛み、一瞬の苦痛に耐えると、次に、腹の底をぐぐっと圧迫されて、口から喘ぎ声が押し出された。
「あー、あ―、あーぁ」
 オーギュストと手を絡めて、身体を支えられながら、横隔膜から下を意識して、ゆっくりと大きく腰を前後に振り出す。
「あ、あ、あ、あ、ああぁ」
 次第に早くなっていく。
「ああん、いいッ」
 手を離し、上体をやや反らして、オーギュストの太ももの上に手を置く。そして、下腹部を前方上部へ突き上げるように動かす。自分で感じるポイントを的確に刺激する。
「いーーっ、ぃいっ」
 軽く絶頂に達した。頭が霞み平衡感覚が鈍り、手足が微かに痙攣した。もう腰を振れない。その瞬間、オーギュストが下から突き上げた。
「おおん、当たるぅぅん」
 子宮口を叩かれて、思わず下腹部に手を当てて、天を仰ぎ、目を剥く。
「あう、あおぅ 奥に、当たっちゃうのぉ!」
 腰の上で何度か跳ね上がった後、胸の上に手を添えて、しゃがみこんだ格好となり、上下に激しく弾む。まるで罰を受けるようにパンパンパンと肉の音を響かせて、自虐的に動き続ける。
「あぁーん、ううーん」
 限界に達すると、上下運動を止め、尻で円を描くように回す。
「いやん……あっ、あっ、あっ!」
 オーギュストが腰を掴んで揺さぶる。それに合わせて、一心不乱に腰を振り始めた。
 上体を一切揺らさずに、腰だけを前後に振り続ける。小ぶりな尻肉が笑窪のように窪んで、リズム畳んだ脚がゆれてまるでボートを漕いでいるようだった。
「ラン、相変わらず上手いな」
「恐悦です……あっ、うぅんんーん」
――ああ、あたしはもうセックスのプロなんだ……
 褒められずとも自分のセックスの巧さを実感している。本当に自分はセックスで奉仕するためだけに生まれてきたのかもしれない、と妖艶な熱に魘された頭でぼんやり思う。
「どうぞこのまま中にお出し下さい。あああん、もういっちゃううううん!」
 ランは騎乗位で絶頂する。
――ああ、あたしはこれから世界の富の数パーセントを支配する女になるのね……下々はあたしの前に平伏し…永久にその美しさを称えるようになる……。
「か、かい、快感っ!」
 両手で顔を包み込み、ぶるぶるっと締まって均整のとれた裸体を身震いさせた。
 ランの心が欲得に酔い痴れる。頭が痺れて、もはや何も考えられない。己が至ったのが、光り輝く黄金郷なのか、穢れない純白の理想郷なのか、それとも、酸いも甘いも真っ黒に塗り潰した世界なのか、もはや分からない。もしかしたら真っ赤なのかもしれない……と思う。

 早朝、紫色に霞んだ高窓に、小さな砂金の粒がぴかっと光った。次第に、ぐんぐん大きく広がって、高窓全体を一枚の黄金のキャンバスに変えていく。
 生まれたばかりの光は、柔らかく、粉のように白く細かい。どんよりと色褪せた部屋を白く染め抜いていく。
 シーツにくるまったランは、朝日の眩さに、思わず顔を顰め、頭の天辺までシーツを被って、もぞもぞと身体を丸くした。それは夜に生きる魔物が、聖なる太陽を嫌うような仕草だった。
 しかし、無駄な抵抗を続けている間も、時計の針は無情にも刻を刻んでいく。
「あ、あ、頭が重い……」
 ランは苦悶の表情で身体を起こし、四つん這いの格好になった。
「ランお姉さま、朝ですよ――まぁ」
 そこへ、猪野香子が勝手に入ってくる。そして、ランのあられもない姿に瞳を輝かせた。
「……ノックしろよ、ちょっとお!!」
「まあまあ」
 香子は、ランの尻に飛びついた。
「健全な女子なら、こんな健康的なお尻を見せられてじっとしていられませんよ」
 尻の割目に舌を這わせる。
「ひぃッ!」
 いきなりの衝撃に、ランは頭を下げ、顔を枕に突っ伏す。そして、反動で尻を高く突き上げた。
「頂きます」
 香子は、毬のように弾力のある女尻を両手でガッチリ掴み、左右に大きく開く。そして、尻穴にねっとり舌を差し込む。
「はぁーあああん」
 気の抜けた声が頭の天辺から抜ける。
 尻の穴にも、昨夜の愛の証が残っているかもしれない。そう思うと、カッと下腹部が熱くする。
……
………
 最後は、正常位で気が狂わんばかりの快楽に溺れた。鋼のような肉体で押さえ付けられ、圧倒的な力で組み伏せらせる。
――何をやっても逃げられない……。
 まるで股をカエルのように無様に脚を大きく広げられると、そのピストン運動に呼吸を合わせて、背中をうねらせ、尻を跳ね上げた。無論、両脚は腰に絡み詰ませ、腕は首にしっかりとしがみ付いている。
「んむっんむっんむ……」
 逃がすまいと肛肉が、肉塊にねっとり纏わりつき、肛門括約筋がキリキリと締め上げていく。同様にディープキスをかわす唇も、差し込まれた舌を咥えて離さない。呼吸さえも忘れて、舌を吸い、唾液を啜った。
「ああッ、いいッ、お尻がいいッ、お尻がとっても気持ちいいの~ぉ、お尻でイっちゃう……」
 口からペニスが出てきそうな、決して性器では味わえない甘美感に、肛門が痙攣を起こす。
「んぐぅぅ…がぁうぅぅ…ああああんッ!」
 直腸の奥に熱い迸りを感じると、快感のあまりに、白目を剥き、口の奥から獣のような悶絶の絶叫を放り出す。
「と、と、蕩けるぅ、溶けちゃう……」
 四肢の神経がオーギュストに乗っ取られてしまい、神経を守る肉体が、ドロドロに溶けて崩れていくように感じた。譫言のように口走った後、意識は途切れ、ひととき真っ白な世界を味わう。
………
……
 思わず、下腹部に手を当てる。指先に悦楽の炎が甦る。
――確かに、愛の証であるお情けを頂いた。
 女陰に満ち足りた思いが充満すると、太腿にまで性器から零れた愛液が滴り、薄い敷きマットに大きなしみを作っていく。忽ち、狭い部屋の中は強烈な性臭で充たされる。
「ううぅおおおお!!!!」
 アナルに指を入れられると、獣のように雄叫びをあげる。肉体の中心から、股間の穴を通して、生命のエキスをたっぷりと発射した。
「……ぁはぁ……」
 一通り、噴射し終えると、糸の切れた人形のようにうつ伏せに寝る。
「お姉さま、お尻の穴で潮吹くなんて素敵ですよ」
「はぁはぁはぁ、褒め言葉だと思って聞いておこう……はあはぁ」
「はい、褒めてますよ――でも」
 香子がランの上に重なり、耳たぶを啄みながら甘い声でささやく。
「ヴェロニカお姉さまは、クリ派だから、摘ままれると潮を噴射されますけど、それで地図を破ったこともありますよ。大したものです」
「アルティガルドの地図?」
「はい、穴の空いた地域を領地としてもらえるそうです」
「ほーお」
 香子を押しのけて、むっくりとランが起き上がる。
「お姉さま?」
「結構根性あるじゃない」
 憮然とした表情で呟くと、首をぐるりと回して関節と鳴らす。
「もしかしてお姉さまもやったんですか?」
「……」
 無言で廊下に出る。
「結果は?」
「……」
「何処を破ったんですか?」
「うるさい!」
 一発怒気を放って、勢いよくドアを閉める。
「あたしゃ、クジラじゃないってんの!」
 仏頂面で、廊下の突き当たりのシャワールームへ向かった。


 戦場とはいえ、朝の儀式がある。
 専属のメイドに介助させて、身体を洗い、歯を磨き、髪を結い、爪を磨き、化粧を施し、質素な服に着替えてから、女性たちは礼拝室に集まり、女神エリースへの祈りを捧げる。
 余談だが、顔のマッサージに一人、手足の爪の手入れに四人の計五人が取り付く光景は圧巻である。もう一つ余談、女性たちは一日にだいたい五回着替えを行う。さらにもう一つ、礼拝堂のオーギュストの席には、代理としてレッサーパンダのぬいぐるみが置かれている。
 その後、朝食をとりながら、医師の検診を受ける。メニューは、体重測定の結果によって日々変わる。


 朝食を終えたランは、寝室の扉の前に来る。礼拝用の服から、ラフな巻きワンピースに着替えていた。
――へえー…。
 先に来ていたヴェロニカと目が合う。
 驚くべきことに、ランの射るような視線を平然と受け止めて、逆に睨み返している。
「ごきげんよう、レディーラン様」
「ごきげんよう、男爵夫人様」
 互いに微笑を面に刷く。
「わたくしは爵位を持っていませんよ」
「それはご無礼を」
「いえいえ、お気使いなく」
「どこかで城を貰ったと聞いたものだから」
「まあ、そんな噂が?」
 ヴェロニカは小さく笑う。
「アリーセ様の間違いでしょう。あの方は、フリート攻略の功績で伯爵夫人に陞爵される予定ですから。わたくしは、まだ、何もしていません」
「そんなことはないでしょう。たいそうな秘技で、ギュス様の無聊を慰められたとか。それで褒美を頂いた、と評判ですよ」
「……」
「私も見たいなぁ。地図破り」
「……」
 一瞬、言葉に詰まり、細い眉が微か動く。しかし、すぐにきつく唇を結び直して、畳みかけてくるランに反論し始めた。
「何処に穴を?」
「さあ、地名を言っても、あなたは知らないでしょう?」
「くじら島かしら? 確か温泉があって、間欠泉で有名だったような」
「そんな島はない!」
 若干、かぶり気味に答えた。
 そこへアンがやってきた。
「おねだりは禁止の筈よ。そんな事、ねんねの小娘だって知ってるわ」
 足元へ視線を落として強く踏みしめる。それから、ランの横に並ぶ。
「ええ、承知しておりますとも。ですが、そんな堅苦しいものでは、ゲームの……」
「ゲームならば、はっきりと辞退を表明するべきでは?」
 アンは肩にかかった髪を払い除けた。
「……そうね。ですが、ギュス様が言い出されたことですし、そこには深い意味もありましょうから、わたくしが出しゃばるべきではないかと」
「ふふ、まるで虎の威を借る狐ね」
 横で聞いていたランが刺々しく笑った。
「所詮、ゲームはゲームよ」
「どうでしょう――」
 口元に軽く指を当てて、ヴェロニカは笑う。
「わたくしの能力を必要とされていらっしゃる――のかも」
 そして、得意そうに髪をゆすって胸を反らせる。
「一本の麦が育つ一片の土地もなく、忠誠を尽くす一兵すらいない女が、何ですって?」
「……っ!」
 アンに続いて、アリーセが現れた。
 ミディアムヘアの灰色がかった金髪で、髪先をふわりとカールさせてフェミニンにアレンジしている。そして、顔立ちは見惚れるほど清楚で際立って気品がある。
 嘲笑するアリーセに、ヴェロニカが視線を向けた時、他の女性たちも到着する。
「あなた達、お喋りが過ぎるわよ」
 険しくライラが言う。フェルディア出身者は、このアルティガルドの分割問題に対して冷やかである。
「それより、ちゃんとパンツは脱いだの?」
 言われて、慌てて、ランとアンが裾にたくし上げ手を差し込み、片脚を上げてシルクのパンティーを抜き取る。
 ぱたぱたぱた。
 そうこうしているうちに、寝室で猫が動く音がする。
 通称『枕猫』と呼ばれる黒い毛の種で、夜枕の代わりに使用すると熟睡でき、良い夢が見られるとされている。
 次に、オルゴールの鳴る音がした。オーギュストが目覚めた直後に聞く、爽やかな音楽である。
 壁際に一列に並んだ女性たちは、一斉にワンピースを脱ぐ。忠誠の証として、一糸も纏わぬ姿で首に革の首輪だけを巻いている。
 扉が僅かに開き、枕猫が出てくる。鼻をぴくぴく動かしながら尻尾をピーンと真っ直ぐに伸ばして女性たちの前を歩く。
 とても魔力に敏感なことで知られ、怪しげな魔術を察知すると尻尾をタワシの様に太らせ、全身の毛を逆立たせてシャーと鳴く。
 元々、その鳴き声は威嚇でしかなかったのだが、オーギュストが特殊なエサを与えることで、魔術の術式を打ち消す効果が加わった。故に、化粧などに幻覚やチャームなどを仕込むことはできない。
「おはようございます」
 扉が大きく開き始めると、裸の女性たちは一糸乱れず平伏する。
――世界一の男に抱かれて初めて、女の幸せを知ることができる!
――これにまさる名誉はない!
――女冥利だ!
――経験の浅い無知蒙昧には分かるまい!
 どの女性も、瞳を潤ませて、頬を紅潮させている。
 オーギュストは、仏頂面で、彼女たちの前を素通りして食卓へ向かう。そこに、少年の頃から愛用するサメの肝油が用意されている。スプーン一杯分を口に含むと、青筋を浮かべて今にも吐きそうな顔する。
「ああ~、目が覚めた」
 全身をぶるぶるっと震わせて、眼をぱっちりと開く。そして、再び寝室へと戻り始める。
「そうだ――」
 この日は、マルティナの前で歩を止めた。
「今日は軍議があったな」
「はい」
 マルティナが顔を上げて返事する。
「よし、ついて来い。兄に会う前に妹を可愛がるのも一興だろう」
「はい」
 嬉々として立ち上がって、オーギュストに従って、寝室から浴室へと向かう。
「さて……」
 ランはいそいそと立ち上がる。
「プールでも行く?」
「……」
 アンの誘いに無言で頷いた。


【9月、ティーアガルテン州】
「聖戦である!」
 草一本ないごつごつした岩肌の大地に、陽炎がゆらゆらと揺れる。熊の足のように大きな軍靴でしっかりと踏みしめれば、忽ち乾いた土埃が舞い上がった。
 白い髪をオールバックに固めた巨漢の男が鬼の形相で仁王立ちする。その背後に弓兵がきれいに整列し、その眼前に、目隠しに後ろ手に縛られた男達が並ばされている。
「最期に言い残すことはないか?」
 巨漢の男が問う。
「不条理だ!」
 一人が叫んだ。
「そうだ。我々は暴漢をしたわけではない」
「私たちは本当に愛し合っていたのだ」
「横暴すぎる」
 縛られた男たちは、懸命に弁明を繰り返す。
「女々しいぞ!」
 その声は、殺風景な陣内によく通った。
「ここは戦場であり、我々は戦士だ。兵たちの模範となるべき将校は、綱紀粛正を旨として、命令に忠実であらねばならない――」
 大きく目を瞠り、さらに声を張る。
「訓戒が出たのは一度や二度ではないぞ!!」
「何回なんだ?」
 覚えがない、と血を吐かんばかりに問い返す。
「3回だッ!!」
 吐き出された唾が、男たちの顔に吹きかかる。
「然るに、戒めるどころかお前たちは、女性下士官と不純な関係に至り、無駄な立ち話に耽り、髪を触り、手を握るなど酒池肉林な行為に及んだ。もはや断じて見逃すことはできぬ!」
「くっ……」
 苦悶の呻きが次々に漏れる。観念した男たちは、揃って肩を落とし、悔しそうに唇をかむ。
「もう一度言う。この戦いは祖国防衛の聖戦である。王家への忠誠心を鋼の肉体に宿し、屈強な精神を祖国に奉じ、王国軍に命を捧げるべし。個人的な感情など捨てて然るべし!!」
 巨漢が雄叫びとともに手を振り上げた。一斉に弓兵が構え、カチャカチャと言う無機質と音が鳴り渡った。
「必勝必罰は武門の寄って立つところ。覚悟致せ!!」
 怒号とともに鋭く振り下ろす。
 ひゅひゅう、と寒気のする音色が重なるように奏でられ、無数の矢が放たれた。次の瞬間、一時に男達の胸を貫く。無念の表情を滲ませながら、土埃の中に倒れ落ち、その血が荒れた大地に吸い込まれていく。
「将軍閣下、終わりました」
 巨漢の男は振り返り、雄々しく敬礼する。
「ご苦労」
 背中で手を組む、無言で検分していたシュナイダー将軍が短く答える。
「これにて刑の執行を終える。解散」
 そして、顔色一つ変えず淡々と踵を返した。

 小一時間後。
「開門!」
 伝騎が門をくぐる。大きな楠の並木道をまっすぐに進むと、正面に列柱を施した神殿様式の豪華な住宅がある。オークス屋敷と呼ばれる豪農の一軒家である。現在は、接収され、アルティガルド軍総司令部が置かれている。
 切妻屋根を支える太い円柱は、2階まで伸び、その間を抜けて、玄関をくぐると、左右対称の螺旋階段が現れる。細かな彫刻の手すりが優雅に曲がり、絢爛豪華なシャンデリアが吊り下がっている。
「副官殿、急報であります」
「ご苦労。休め」
 玄関横に控えている副官に報告のメモを渡す。それに素早く目を通すと、副官は螺旋階段を上っていく。
「将軍閣下、失礼致します」
 2階奥の書斎のドアをノックする。
 大きな窓の前に立派な机がある。その横の洋服掛けに、シュナイダーは、上着と帽子をかけていた。
「第二中隊が間違ってGポイントへ行ってしまい、サリス軍の船団が、Dポイントの岸に接近しつつあります」
 息遣い荒く告げると、手際よく机に地図を広げる。
「ここです」
 そして、そのDとGポイントを指で指す。
「直ちに第三中隊で迎撃を。敢えて射撃戦を避け、敵兵の半数を上陸させよ」
 遮蔽物のない川岸での射撃戦では、命中率が高く、数が物を言う。しかし、半数が上陸していれば、戦力は分断されているし、味方の兵が邪魔で射撃も儘ならない。
「さらに、パトロール中の騎兵に、Bポイントの槍兵を輸送させて増援しろ。……かつ、このまま第二中隊は下流のPポイントに移動して警戒を厳重に。上流とくれば次は下流だと思われる」
「はっ」
 矢継ぎ早に指示を与える。
 シュナイダーは索敵の目をフリーズ大河中に張り巡らし、その情報を、旗や伝騎などを駆使して、素早く総司令部に集結するような仕組みを構築している。
 そして、騎兵を使い、部隊を速やかに移動させて、少ない戦力で長大な戦線を維持していた。
「およそ陽動だと思うが、頻繁だな」
 地図を食い入るように眺めながら、ため息交じりに呟いた。これは意図したものではない。疲労した心が、思わず本音を吐露した瞬間だったろう。
「味方の将兵にも疲れが顕著です。士気の低下や細かなミスも目立ち始めました。刑の執行で綱紀が引き締まれば良いのですが……」
「こちらの乱れを……敵も見ていよう。本格的な渡河も近いか……」
「閣下……」
 その声に、副官は帰ることを躊躇った。
「何かお飲みになられますか?」
「頼む」
「はい」
 壁の棚に向かい、ポットからコーヒーをカップに注ぐ。
「どうぞ」
「俺は……」
「はい?」
 仄かな湯気を揺らすカップに手を伸ばしながら、シュナイダーは声を詰まらせた。
「明日、貴官に死ねと命令するかもしれんぞ」
「構いせん」
 副官は眉一つ動かさず即答する。
「将軍が判断なされるのなら、それが私の死に時なのでしょう」
「……貴官なら然もあらん」
 シュナイダーは無表情にコーヒーを啜る。
「皆同じ気持ちです」
 副官の言葉に、シュナイダーは目を上げた。
「将軍は大義のために最善と思われる策をお命じ下さい。駒たる我々は喜んで従いましょう」
 じっくりと時間をかけて、その味と香りを玩味すると、シュナイダーは顔を窓へ向ける。
 数代に渡り受け継がれ、整備されてきた農園は、今、兵馬によって踏み荒らされ、数百年育まれてきた森は、資材のために乱伐されて消滅寸前である。
「その時は……遠慮なくそうしよう」
 筈かに唇を動かし、感情のない声で告げる。
「はっ」
 副官は踵を揃え、凛々しく敬礼する。

 シュナイダーの予想は的中する。
 翌未明、サリス大船団が、(シュナイダーがそう名付けた)Jポイントに集結した。
「視察する」
 シュナイダーは、軍服の上着を着ながら集まった部下たちに告げる。
「しかし、閣下が動かれては、状況判断に支障が出ますぞ」
 参謀が揃って、不安を、然も当然という顔で進言する。それほど、兵力の移動のタイミング、兵種と兵数の判断、経路の選択などに高度な戦術的センスが必要だった。とても余人に勤まるものではない。
「デメリットは理解している。しかし、報告によれば、これまでとは陣容が違う。この目で確かめる必要がある」
 常にメリットとデメリットを天秤にかけて、その隙間を縫うように戦っている。
「……分かりました」
 シュナイダーの頑な表情とその行動の変化に、参謀たちは状況の逼迫を感じ取る。

 しばらく馬を走らせて、河岸段丘の上に立つ。
「ほお」
 無数の双胴船が、大河の半ばまで綺麗に二列に並んでいた。
「何をしているのでしょう?」
「橋脚を築いているのさ」
 副官の疑問に、シュナイダーは、模型を作る子供の様に弾んだ声で答える。
 ドーン!
 その時、一斉に巨大な音が轟いた。
 双胴船の上に組まれた立坑から、重力魔法を使って、一気に太い杭が川底まで打ち込まれたのだ。そこへ、間をおかず、水硬性セメントを流し込まれていく。
「あれで固まるのでしょうか?」
「水に触れると熱を発して固まるのさ」
 シュナイダーは朗々と解説する。
 参謀たちが顔を見合わせた。生粋の軍人にもかかわらず、土木工学に対する知識の高さを意外に感じていた。
「なに、アルティガルド軍でも研究されていた技術さ。しかし、良質の石灰、火山灰、凝灰岩を揃えるのにコストがかかり過ぎる。故に、普通に筏を組んだ方が有効的、と上層部は判断した。まさかこんな所で観る事になろうとは……」
 意外ではあったが、決して予想外という訳ではない。シュナイダーは、最新技術を目撃する喜びと越される寂しさの混じり合った、複雑な色をにじませる瞳でしばし眺める。
 無数の杭が大河の流れに耐えて立つと、すぐに梁が渡され板が貼られていく。あっという間に、川幅の半分ほどまでに簡素な橋が出来上がった。
「信じられません……」
「夢を見ているようです……」
「まさにディーンマジック……」
「ブラボー!」
 唖然とする副官や参謀たちの横で、シュナイダーは屈託なく手を叩いて、敵に敬意を送った。
「組織人としての夢だ。見よ、この壮観な光景を!」
 どれだけの予算がつぎ込まれ、どれほどの人材がかかわったことだろうか――考えるだけで心が躍った。
「……将軍、直ちに迎撃を」
 一人無邪気な笑顔を見せて興奮するシュナイダーに、参謀の一人が、血相を変えて進言する。
「橋の完成にはまだ時間がかかります。足の遅い重装歩兵や投石機をここに移動させましょう」
「……」
 シュナイダーは、笑顔を消して、しばし考え込んだ。そして、その場の誰にとっても想定外な答えを導き出す。
「全軍退却だ」
「え?」
 驚く参謀たちの顔を舐めるようにゆっくりと見渡す。その反応は、予想以上でも以下でもなかった。かつて【ヴァイスリーゼ】と呼ばれた同僚たちならば、説明するまでもない事だったろう。
――皆が同じ目線で、同じ方向を見ていた……。
 共に古い固定観念に挑んだ盟友であり、出世を争ったライバルであった。それを疎ましく思ったこともある。今となっては、何もかもが懐かしく、かつ、頼もしい……。一人でも傍にいてくれたならば、と虚しく思う。
「考えても見ろ」
 教官が諭すような口調で、説明を始める。
「これだけの物量戦を仕掛けられるのだ。この場に戦力を集中させて守っても、ここの上流や下流に普通に船で上陸できるのだぞ。そうなれば、我々は川を背に半包囲されてしまう」
「……」
 その危機を想像すると、氷水を頭から浴びせられたように驚き慄き、皆、言葉を飲み込んでしまった。
「しかし、天然の要害を……放棄なさるのですか?」
 最も武断な性格の参謀が、如何にか問うが、その声も裏返ってしまっている。それに、シュナイダーは、用意していたように即答する。
「サリス軍の狙いは、この橋を使って渡ってくることではない。我が軍にその陣立ての全容を露見させることだ」
「はぁ……」
 気の抜けた声が返ってくる。
「こんなショーのような作戦を敢えて実行する必要は本来ない。新たな一軍をもって再度上流から進撃し、タイミングを見計らって中下流から上陸すればよいのだ」
「……」
 ポカンと曖昧に頷く。
「敵は知りたいのだ。我が軍の実力を。戦略的思想を。そして、俺の戦術的感覚を。故に、我が軍が姿を見せるのは得策ではない」
「はい」
 次第に誰もが、その声に聞き入っていく。
「これだけの人的エネルギーを浪費し、大量の物資を放蕩すれば、必ず今度の決戦の場で組織的な枯渇をもたらす」
「はい」
 一縷の光明に、一同に笑みがこぼれた。
「まったく……抜け目のない男だ」
 シュナイダーは苦笑しながら、小さく舌打ちをした。
 これほどの作戦を、敵の手の内を知るためだけに惜しみもなく実行した。絶対権力者ならでの浪費であろう。組織の歯車の一つにすぎない身分では決して行えない。
――自分も一度はやってみたかった……かな。
 乾いた心がそう囁く。
――そうか!
 その裏側から、さらに声がした。その瞬間、心の奥がざわつき、ふつふつと昂ぶっていく。
――これほどの男が……。
 なにふり構わず手の内を知りたがっているのだ。たまらず、恍惚とした笑みが口辺に浮かんだ。
――ああ、わかったよ。そう焦んなよ。ゆっくりとこの俺と言う男を教えてやるよ。
 強敵を前に、失禁寸前の高揚に酔う。
「敵は死地に踏み入った。我々は夜襲を繰り返し、その活力を徐々に奪い、その疲労が頂点に達した時に決戦を挑む!」
「おお!」
 血の気の蘇った参謀たちが、声を揃えて雄叫びを上げる。


 橋の架設工事現場から少し離れた水上に、30フィートほどの重心の低いヨットが浮かんでいる。無駄のない洗練されたシルエットは、水上の貴婦人と評されるほどに美しい。
「ほーお、退くか……」
 北岸の情報を聞き、眼を瞠るような驚きと喜びに唸り声がもれる。
 オーギュストは、半そでのプレシャスネイビーのラッシュガードとサーフパンツを着ている。コックピットシートの端に顔が水上に出るほどに凭れて、操舵輪を片手で操っていた。そして、その膝の上には、黒いビキニの水着をきた女性を乗せいている。
 ヴェロニカである。
 ゆるく編んだみつ編みをふわりと肩に垂らして、極小の三角ビキニブラに、腰紐のパンツは前面に三角形の小さな穴が開いていた。
 この元反乱軍の女傑は、今、ヨットの下を泳ぐ魚に無邪気に驚き、波を切って舞い込んだ飛沫に「きゃあ」と悲鳴を上げてはしゃいでいる。
「……」
 一方、操舵輪の前には大き目のテーブルがあり、それを左右のシートが挟んでいる。
 右舷側の3人掛けのシートには、上帝軍幕僚のベアトリックス、ルイーゼ、アンの3人がいる。
 共に白と紺の水兵服で、ベアトリックスはミモレ丈のスカート、ルイーゼはぴったりしたレギンスのパンツ、アンはキュロット・スカートを着ている。そして、その傍らに、彼女らの部下であるヤンが大量の資料をもって立っている。
 左舷側の2人掛けシートには、警護担当のライラとマルティナがいる。
 が、テーブル上の空気は、氷の入ったワインクーラーのように冷やかである。
「これで上陸戦はなくなりましたが……」
 主席であるベアトリックスが、重い口を開いた。
「意外か?」
「いえ、……らしいと思います」
 ベアトリックスが言葉を濁しながら答える。
 ベアトリックスとルイーゼは、シュナイダーと同じ、かつてアルティガルド王国軍のエリート集団【ヴァイスリーゼ】の一員であった。
「シュナイダーとはどんな男だ?」
「当代髄一の知将です」
 ルイーゼが躊躇なく答える。
「ちぃ……」
 一方、敵将をほめる敵国出身の彼女に、他の者たちは露骨に不服そうな顔をした。舌打ちの音さえ何処からか聞こえてくる。
「……」
 中でもヤンは一戦して敗北している。その名の響きは、胸の奥に口惜しさと畏敬の念を沸き立たせて、つい痺れるほどに奥歯を噛み締めていた。
「何より情報収集を重視し、敵と味方の状況を客観的に分析ができ、冷静な判断を下せます」
 ルイーゼは、澱みのない真剣な眼差しで、オーギュストを見詰める。
「ただし――」
 いきなりヴェロニカが、オーギュストの膝の上から嘴を入れる。
「自分に自信のあり過ぎる男は、総じて、人を見る目がなく裸の王様になりがちです」
「幼少よりリーダーの性質を見出され、それを自覚し、年長者より期待されて成長してきました。統率力、指導力、求心力も十分持ち合わせ、部下を心服させる威厳もあります」
 すぐにルイーゼも強く反論する。
「順風満帆で、毛並みの良い男は挫折に弱いものですわ」
 ヴェロニカも怯まない。これには、彼女の元リーダーであるロマンへの怨嗟の情と、彼を信じ切った自責の念があるのだろう。
「エリートならではの集中力があり、目的のために努力を惜しまず、不撓不屈の精神も――」
「あははは。もういい――」
 言葉を遮り、オーギュストは笑う。
「俺の前で、俺の女が、他の男の話をしているのは不愉快だ」
 そして、表情を暗く堅くしたヴェロニカを下ろして立ち上がると、細く洒落た操舵輪に肘を乗せる。
「このまま上陸を強いれば、不甲斐ない我が軍は半壊するだろうが、屈強なアルティガルド軍にも、相応の損害を与えられるだろう。だが、雑兵がどれほど死のうと……」
 その言葉選びに、『らしい』と苦笑が漏れる。
「俺がここにいる限り、我が軍は何度でも再生できる。文弱の徒のサイア兵を率いてアルテブルグへ侵攻すればよい。だが、今のアルティガルドに臨時徴兵を行う行政力も義勇兵を募るほどの権威も残っていない」
「なるほど」
 一方、一切の蟠りもなくアンは頷く。清楚感のある水兵服を着こなした姿は、穢れを知らぬ少女人形のようである。
「シュナイダーはそれを分かっている」
 思いがけない相槌にも、オーギュストは気にせず分析を続けた。
「故に天然の要害であるフリーズ大河で侵攻を阻むよりも、俺を本土奥地へ引き込むことを選んだ。アルテブルグまで退くと見せかけて、どこか最善の場所で決戦を仕掛けてくるだろう」
 沼地、窪地、要害、色々と想定される。
「敵に主導権を握られるのは不本意だが、この場合は仕方あるまい。取り敢えず出方を見るとしよう。何せ、我々には当分やることが山積みだ」
 オーギュストが一括りすると、一同は大きく頷いた。
 確かに、サリス軍は、大河の半ばまで出来た橋を完成させねばならない。大量の兵と物資を秩序よく、かつ、短時間に渡らせなくてはならない。さらに、長蛇になる補給路の防衛を強化せねばならない。これらは引き続き、地理に明るいベアトリックスが担当することになるだろう。
「それにしても、無駄遣いした。これらの資材は、本来ならば、河口のリューフに送ってやりたかったなぁ……」
 オーギュストは遥か河口の方角を眺めながら、頭を掻き愚痴を零す。それから、気分を変えるように一つ手を叩く。
「さて」
 操舵輪を飛箱の要領で飛び越えて、着地の反動で再び跳ねて、空中で一回転する間に体を2回捻ってテーブルの上を通り抜ける。
「あっ」
 そして、キャビンに下りる階段の途中で、不意に足を止め、上半身だけ露出させながら振り返った。
「引き続き、上陸の指揮はアレックスとアウツシュタインに取らせろ。ベアトリックスは補給路の確保、ルイーゼは決戦地を予測、アンはリューフに連絡して【セシル軍】を援軍に来させろ。ヤンはロックハートなどの北岸にいる部隊を再編しろ。ライラは本営を移し、マルティナは夜襲に備えよ」
「御意」
 口早に命じられて、名指しされた者たちは一斉に頭を垂れた。
 そして、名前を呼ばれなかったヴェロニカがいそいそとキャビンへと降りていく。
「あらあら、あんな莫連女が燥いじゃって」
「新しい枕での喋喋喃喃は物珍しいものよ」
「でも珍品は珍品よ。すぐに飽きるでしょう」
 女たちが爽やかな風が吹き抜ける中で、毒を吐き合う。その輪からアンがヤンに振り向いた。
「さあ、私たちは、任務に精励恪勤しましょ」
 昔と変わらない笑顔で言う。
「ああ……」
 ヤンは、チクリと針の刺すような嫌悪感に、重苦しい憂鬱さが加わったような煩雑な表情で頷いた。そして、軍服に付けたバナール男爵家の紋章のエンブレムを強く握りしめた。
 キャビンには、階段の左右にギャレーと個室トイレがあり、階段の先にはテーブル中央にポールの立つサロン、そのさらに奥にベッドのあるバウバースがある。
「終わった、終わった……」
 オーギュストは、どっかりとソファーに腰を下ろす。
「大勝利、おめでとうございます」
「想定の一つではあったが、中途半端過ぎる」
 安堵の表情の裏で、物足りなさに苛立ちを覚えている。
「はい」
 ヴェロニカは口角を上げて微笑むが、一筋汗が零れた。湧き上げる性欲の悦びの底で、緊張と恐怖が渦巻く。
「鎮めよ」
「はい」
 素直に頷いて、脚の間に跪く。細く長い指を使って取り出した物体は、自分の顔よりも長く、青竜刀のように反り返り、鬼の持つ棍棒のように太く、赤樫のように堅い。
「んちゅ……」
 鈴口に舌先を当てる。
「ちゅちゅるるぅ……くぽっ……」
 エラを舐め回し、拳のような亀頭をすっぽりと口に含む。
「んうぅ……ふぅん」
 クチュクチュ、ピユピュという水音に、鼻からもれる呻き声が混じる。
「じゅるるぅ……んんっ」
 ギュッと唇を締めて、ゆっくりと頭を後ろに下げる。
「ずぼぼぉ……ぐちゅぐちゅ」
 口の端から涎を垂らしながら、喉の奥へと飲み込む。
「……」
 喉の奥まで使った口技で抽送を繰り返しながら、ヴェロニカはちらりとデッキを見遣る。
 否応なく耳を刺激する複数の足音。その音源である女たちの尖った踵の靴が左右に行ったり来たりしている。
――あんな女たちには負けない…否、もう誰にも負けない!
 猪野香子に命を救われ、降伏を促され、歴史の証言者となることを強要された時、もはや二度と人選ミスはしない、と心に誓った。或いは、自分を受け入れなかったアルティガルドという国や人民に対する復讐心があったのかもしれない。
――そのためには、転向者と罵られ、情婦と成り果てようとも構わない!
 裸同然で、衆人環視の中を歩いた。
 人前で、セックスをした。
 小水をもらした。
 尻を並べて服従の言葉を述べた。
 陰毛を剃毛した。
 尻の穴を舐めた。
 貞操体をした。
 手錠、首輪、猿轡、鼻フック、浣腸……一通り経験した。今では、下着を着用せずに平然と生活している。
――なんて言う事はない。もう一度惨めな敗残者になるぐらいなら……。
 苦難の果ての敗北は、まさに悪性腫瘍のように彼女の心に暗く居座っている。
「来い」
「失礼いたします」
 透かさず黒いビキニパンツを脱ぐ。
――うっ!
 何度見ても慣れない。パンツと一緒に、性器の中に潜んでいた透明のジェル状の物体も落ちる。髪の毛よりも細い無数の糸が、クリトリス、尿道口、膣口、アヌスに絡まっている。クラゲ型の守護幻獣『ブリッツェンジェル』(第37章参照)が、貞操体に姿を変えたものだ(第46、58章参照)。
――こんな物を付けられては、もう後戻りはできない……前に進むしかない!
 前とはどこか、と胸の奥から声がする。
――決まっている!
 心が痛いほどに叫ぶ。
 一貫して、この国の未来と民の幸せのために戦ってきた。そこに嘘偽りはない。ただし、この旧態依然とした王国と愚かな民衆は、この自分を拒絶し、無様に滅び去る。それに一切の同情はない。自業自得とさえ言えよう。そもそもアルティガルドという器が自分には狭かったのだ。間もなく、この世界には新体制が整う。そこにこそ自分の才能が必要なのだ。
 そして、肩に手をおき、膝の上に跨り、ゆっくりと腰を沈める。
「……くぅん、はぁーンぅ……」
 侵入される感触に綺麗な眉を寄せて苦悶し、収まった感覚に紅い唇から安堵の吐息をもらす。
「んぅ、んぅ、はぁ……」
 なまめかしく潤んだ瞳を熱く絡みつかせながら、腰を前後に揺らし始める。




続く
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Date:2015/09/18
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